院長この一冊

院長この一冊

院長・三輪大介がこれまで読んだ本の中から、心に残った作品を ご紹介するページです。

  • 院長この一冊73 2021.10.24
    「僕らのランドスケープ」 中原慎一郎
    book

    今回ご紹介するのは、東京で家具を扱う事業を展開されている「ランドスケーププロダクツ」代表の中原慎一郎氏の著書「僕らのランドスケープ」です。

    ランドスケーププロダクツさんの手がける製品を見ると、私のような素人コメントで言えば「センスがいい」の一言になってしまうのですが、目が癒されるような感覚を覚えます。

    私がこの方に興味を持ったのは前回紹介の岡本仁氏の著書からの流れにあるのですが、何よりも鹿児島大学のご出身というところにあります。

    私より少し年上で、同じ鹿児島大学という地方大学出身にもかかわらず、東京で家具を事業にして注目を浴びるまでに至ったその経緯について知りたいと常々思っていました。
    そして、その答えが書かれていたのが、今回の本です。

    一言で言えば、人との出会いだったということかもしれません。
    大学時代のアルバイト先が、アンティーク家具と喫茶店を併設しているお店であったことが原点のようです。そのお店のオーナーの女性が非常に特別な雰囲気を持った方で、衝撃的であったことが影響しているようですが、のちに事業として家具を扱うことに大きくつながったのが、東京で6年間勤務した個人家具店のオーナーとの出会いだったと書かれています。

    家具の買い付けでアメリカに同行するなかで、オーナーの直感の鋭さ、多くのゴミのような家具の中からでも瞬時にデザイナーものをピックアップできる目利きの凄さに圧倒されていく様子が書かれています。
    そして、本物の審美眼を持ったオーナーの仕事のやり方をひたすら目で盗んで自分の経験値として積み上げていき、自分の店を持ちたいという思いに至る過程が書かれています。
    この辺りは文章にかなり躍動感があふれて、どんどん読み手を引き込んでいきます。

    他にも、若い方へのメッセージとして、仕事で壁にぶつかっても簡単に辞めずに、我慢をして辛さをクリアする経験をしないとわからないことがある、といった仕事に対しての継続性の重要性も書かれており、非常に共感を覚えました。

    人との出会いといえば、私も北九州の恩師との出会いが衝撃的であり人生を大きく決めたように思います。
    現在、日本の歯科医療法人として最大となり、財団まで創設なさった理事長先生ですが、私はこの方との出会いがなければ、歯科医療をやめていたと思います。
    2005年の出会いから16年が経過した今でも、OBとして役職を頂き、毎年一緒にお仕事をさせて頂けることは大変ありがたく思っております。

    昨日行われたOB会を振り返り、人との出会いのありがたさに思いを馳せたときに、ふと、紹介しなくてはならない本があったと今回の一冊について書かせて頂いた次第です。


  • 院長この一冊72 2021.08.01
    「ぼくの鹿児島案内。」  岡本仁
    book book

    随分と更新が途絶えておりました、「院長この一冊」です。

    2020年は、私にとって様々なことがあり、更新を行うモチベーションが上がらなかったことが理由ではありますが、ようやく、書きたいという欲が出てまいりましたので、更新させて頂きます。

    霧島市にある県立の美術館「霧島アートの森」で、現在、「岡本仁が考える 楽しい編集って何だ?」という特別企画展が開催されています。

    私は、数年前に、この企画展の主催者である、岡本仁さんの著書「ぼくの鹿児島案内。」を書店で手に取った時に、ちょっとした衝撃を受けました。

    鹿児島の観光ガイドブックのようなものかと思いきや、かなりディープな鹿児島案内の本だったからです。しかも著者の岡本さんは、北海道のご出身とのことで、なぜ北海道の方が鹿児島の案内文をここまで書けるのかと思うと同時に、センスある文章と写真にどんどん引き込まれてしまったのです。

    読み終えた後は、本に紹介されているお店のいくつかにも足を運びましたし、続編である「続・ぼくの鹿児島案内。」も購入しました。

    紹介されているお店や一般の方は、決してありきたりな観光ガイドブックでは取材しないであろうコンテンツでした。なぜこのような切り口で、案内文が書けるのかと読みながら何度も思いましたが、 岡本さんは雑誌「ブルータス」の編集者だったからなのでしょう。
    しかもなぜ、鹿児島を書くのか不思議に思いましたが、現在、岡本さんが所属していらっしゃる会社が「ランドスケーププロダクツ」という鹿児島出身の方が創業した会社だからのようです。
    「ランドスケーププロダクツ」は東京にある会社で、家具やインテリアで有名のようですが、出版も手がけているとのことで、この本が刊行されたようです。

    紹介されている一般人には、私が小学生時代から知っている同年代の方もちらほらいらっしゃり、あの方が今、こんな仕事をされているのかなど、懐かしい気持ちと新たな発見で、随分と楽しませて頂いた一冊でありました。

    いつかは、この「ぼくの鹿児島案内。」を、このコーナーで紹介したいと思っておりましたが、先日、霧島アートの森の特別企画展を見に行ったことをきっかけに今回、書かせて頂いた次第です。

    鹿児島県在住の方ほど楽しめる一冊かと思います。


  • 院長この一冊71 2019.10.14
    「ブライトン・ミラクル」  マックス・マニックス監督
    book

    ラグビーW杯。ジャパンがスコットランドとの死闘を制してから一夜明けましたが、まだまだ興奮冷めやらぬ状態で、今日一日、何も手につきませんでした。

    今回、ご紹介させて頂くのは、映画「ブライトン・ミラクル」。

    2015年のラグビーW杯で、エディ・ジョーンズ率いるジャパンが、南アフリカに勝った試合を題材にした、ドキュメンタリー映画です。

    試合が行われた、イングランドのブライトンスタジアムの名前から、この試合は以後、「ブライトンの奇跡」と呼ばれるようになりましたが、この映画のタイトルはそれをそのまま英訳したものです。

    ラグビー後進国で、W杯では負けてばかりのジャパンがどのようにして、南アフリカに勝つに至ったのかを、たくさんの俳優を起用したストーリーにしつつ、エディ監督、リーチキャプテン、廣瀬選手、五郎丸選手ら本人たちの証言も交えてわかりやすく構成された映画です。

    エディ役の俳優さんが発する言葉が、あまりにダイレクト過ぎますが、負けることが当たり前だったジャパンのメンバーのメンタルを徐々に変えていく様が、よく分かります。

    映画だとはわかっていても、心を貫く言葉が多く、涙が出てきます。

    ラグビー協会が、エディ氏を監督に迎えてから南アフリカ戦当日を迎える日までの各人の苦悩がよく描かれています。後半3分の1は、南アフリカ戦の実際の試合映像をベースにナレーションが入りますが、涙が止まりませんでした。

    多くの勇気を与えてくれる映画です。

    現在、アマゾンプライムビデオで視聴可能です。

    決勝トーナメントで南アフリカと再戦する前に、是非ご覧になって下さい。終始、涙が止まらないはずです。


  • 院長この一冊70 2019.08.11
    「マチネの終わりに」 平野啓一郎
    book

    今回ご紹介するのは、平野啓一郎さんの著書「マチネの終わりに」です。

    マチネとは、フランス語で「昼公演」を意味する言葉です。音楽が大きな軸となっている本作品を飾るにふさわしく、また、ラストシーンが、「昼公演」のあとのセントラルパークで終わることで、読後、書を閉じてふと表紙に「マチネの」と書かれたタイトルを見た瞬間に何とも言えない余韻を漂わせます。

    本書は、天才クラシックギタリスト・蒔野聡史と国際ジャーナリスト小峰洋子とのいわゆる恋愛小説です。普段は、恋愛小説自体を、あまり読まない私ですが、開業以来、7年余りにわたり、会計処理でお世話になった方から、読後の感想を聞いたこと、秋に映画化されること、文庫化されかさばらないこと、表紙のデザインに惹かれたことから、書店で手にとり読んだ次第でありました。

    内容は、とにかく美しいの一言に尽きます。アーティスチックな小説とでも言えばいいのでしょうか。文章のリズム感、選び抜かれたであろう言葉の数々と、読者に抱かせる風景。やはり、平野さんは天才です。

    登場人物の設定も魅力的です。特に、洋子が映画監督イェルコ・ソリッチ監督の娘であるという設定が、この作品を、気高く、芸術的なものにしていると強く感じました。

    背景となる社会情勢にも学びが多く、作品を通して、PTSDや中東問題にも少し、見識が増した気がしました。

    3回した会ったことがないのにお互い深く思い続ける関係というのも、多くの読者を魅了した要素なのだと思います。

    芥川賞受賞作「日蝕」などの初期作品とは違った、親しみの持てる、読みやすい作品です。皆様、どうかご一読ください。


  • 院長この一冊69 2019.07.04
    「友情2」 山中伸弥編
    book

    ラグビーW杯まで100日を切りました。
    現在、ラグビー日本代表は、宮崎にて強化合宿を行っています。
    先日、宮崎まで行き、日本代表が滞在している宿泊施設に泊まりました。
    エレベーターやロビーなど、いたるところに日本代表の方々がいらっしゃり、一度、この目で見たかった、主将を務める、リーチ・マイケル選手もわずか1mの近距離で目にすることができました。

    さて、今回、ご紹介しますのは、「友情2」です。
    この本を手掛けた、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授は、2016年に亡くなったミスターラグビー平尾誠二さんと非常に仲がよかったのは有名な話です。

    平尾氏がお亡くなりになって間もなく、山中教授と平尾氏の奥様との共著で平尾さんを偲んで書かれた「友情」という書籍が出版されました。

    私は、この「友情」という書籍も読みましたが、何か気が晴れない感じがしてなりませんでした。というのは、山中教授と平尾氏との関係は、6年程のものであり、いかに濃密な関係であったにしても、平尾氏が現役時代のことは書くに書けないであろうし、平尾氏の交友関係からいっても、追悼本を真っ先に書くべき方は、他にいらっしゃるような気がしてならなかったかったからです。

    そう思っていたところに、「友情2」が出版され、前作の続きだろうかと、あまり期待もせず購入したのですが、この本は違いました。

    まず、冒頭で、山中教授自身が、いろいろな方を差し置いて追悼本を書いてしまったことへの心の葛藤が書かれてあり、平尾氏と交流があった様々な方が、平尾氏のことを書きたかったのではないだろうかという思いから、本書は、15人の平尾氏への追悼文で構成されている旨が記されています。山中教授自身も、追悼本を真っ先に出したことに、違和感を感じていらっしゃったという事実を知り、至極、真っ当な感覚を持った方なのだなと思った次第でありました。

    本書で私が心を奪われたのは、第1章の「同志として、友として」の5名の方々の追悼文です。

    ラグビー経験者、平尾氏をご存じの方、是非、お読みになってください。

    涙腺が緩むことでしょう。

    先日、久留米での気の合う仲間達との楽しいひと時。その中の一人から、4年前、手紙をもらったことがありました。「何よりも友人として今後も末永くよろしく」と書かれた結びの一文。高校時代、スタープレイヤーだった彼に、このような言葉をもらったことに、何かしら熱く込み上げるものを感じたことを本書を読んで思い出しました。

    楕円球を追ったことのある方、必読です。


  • 院長この一冊68 2019.02.10
    「僕の散財日記」 松任谷正隆
    book


  • 2019年が明けて、一か月余り。ようやく新しい年に順応してきたかと感じるこの頃です。
    今回の一冊は、松任谷正隆氏の著書、「僕の散財日記」です。

    毎年の年越しは、夜の日向灘を傍に紅白歌合戦なのですが、昨年の紅白歌合戦は、私の見てきた中で最高のものでした。
    理由は、ユーミンのサプライズ生出演。そして、ラストでのサザンオールスターズ桑田さんとユーミンのまさかのコラボをこの目で見ることができたからです。

    私は、小学1年からユーミンファンで、もう35年になろうかというくらいなのですが、特に印象的なのは、私が中学生前後の頃のユーミンです。
    いわゆるバブル景気で勢いづく世相と、「リフレインが叫んでる」~「ANNIVERSARY」~「満月のフォーチュン」と毎年出される新曲に大人の世界を感じていました。あの頃のユーミンは、まさしく「女王」であったように思います。 そのユーミンが、「本当に天才だと思う」と言って憚らないのが、ご主人である松任谷正隆氏なのです。
    この方は、大変「耳」がいいらしく、ご本人のエッセイでもそのことが何回も書かれています。ユーミンの楽曲は、この「耳」に適ったもののみが世に出されているということなのでしょう。

    さて、本書の内容ですが、Tシャツ、カメラ、車、時計、万年筆、椅子、眼鏡、他いろいろとあらゆるものに対しての松任谷氏の審美眼が詰まっています。紹介されている物のほとんどが高価なもので、勉強になります。
    また、この方の文章は美しくある一方で、ウイットに富んでいます。音楽だけでなく、執筆にも才能があるのでしょう。

    本のタイトル通り、「散財」しないと分からない世界があるんだろうなと思いました。
    本の帯には「お洒落で、お馬鹿な中年になるための正しい買い物術」と書かれています。

    この本を手にした時、私はまだ20代で、「中年なんてまだまだ先のこと」と思いましたが、あれから15年近くが経ち、中年となった今、あらためて読み返すと、松任谷氏の言いたいことが少しわかる気がして、なかなか手離せない一冊になってしまいました。


  • 院長この一冊67 2018.04.22
    「脱東京」 本田直之
    book

    今回、ご紹介しますのは、本田直之氏の「脱東京」です。
    著者は、若いビジネスマンを対象に、仕事の仕方等を様々な視点から書いた「レバレッジシリーズ」で有名ですが、今回の著書は、あえて地方に移り住み、地方で仕事をすることに価値を見出すという新たな 切り口で、生き方・働き方を考えていくという内容です。
    地方で生まれ育つと、東京に憧れを持つことも珍しくないのではないでしょうか。

    私も、ある時期、強烈に憧れた東京でしたが、現在は、憧れもせず、むしろ九州新幹線ができてからは九州内で全てが完結できていい位に思っており、地方暮らしに何の不満も持っていません。
    この本には、東京で頑張ってきた私と同年代くらいの方々が、東京での暮らしに疑問を覚え、 地方に居を移し、新たな生活を送っている事例が10例ほど紹介されています。
    10例ほどのうち、半分近くの事例が、九州の福岡・宮崎に移住したものであったことから、なぜ、九州に縁もゆかりもない方たちが、東京を離れ、福岡・宮崎に移住するに至ったのか、その過程を知りたく、読んでみました。
    一番の理由は、インターネットのおかげで、地方にいても仕事が成り立つケースが増えてきたということのようです。そして、移住するなら暖かい所で物価が安いところがよいと。

    日本は、東京に人口が一極集中していますが、このことは、世界的にみると、大変珍しいケースのようです。
    現在、関東圏には日本の人口の30%が住んでいますが、この数字は、諸外国と比べると、異常であることに気づきます。
    欧米諸国で、最も人口の一極集中が見られるのがフランスらしいのですが、それでも、パリに人口の15%が集中する程度だそうです。それに比べて、30%もの人口が関東圏に集中する日本とは一体・・・と考えずにはいられません。
    江戸時代の日本は、藩制度がありました。当時は、藩外に出ること自体が大変だったようなので、江戸に一極集中ということ自体があり得なかったわけですが、明治維新後のわずか150年で、国の人口の3割が関東に集中するようになったというのはやはり尋常とはいえない気がします。
    本書は、その一極集中の揺り戻しが今、起こっていて、地方への可能性を見直す人々が出てきているということ、そして、これからの10年はもっとその流れが加速するのではないかということに言及しています。
    地方で、その人らしいライフスタイルを確立している人々の生き生きしたコメントと、美しい地方の風景が読み手の気持ちを前向きにしてくれる。そんな一冊です。



  • 院長この一冊66 2018.03.22
    「海がきこえる」 氷室冴子
    book

    今回、ご紹介しますのは、氷室冴子氏の「海が聞こえる」です。
    最初に読んだのは、中学生の頃でしたが、少し前に、ブックオフで文庫本を目にして、 懐かしさのあまり購入してしまいました。
    高知県の進学校で高校生だった主人公・杜崎拓の高校2年生から大学進学後東京での生活に慣れるまでの 数年を書いた物語です。当時、中学生だった私でも読める、読みやすい文章に加え、スタジオジブリが 協力した挿絵が美しいこと、高校・大学と自分より上の世代の日常が書かれていることが少々刺激的であった こともあり、読後25年以上経っても、印象深い一冊として心にしまっておりました。
    不惑を迎えて、改めて読み直しましたが、いい作品だと思いました。
    が、作者はだいぶ前に若くしてお亡くなりになっていたことをこの度知って愕然としました。
    購入した文庫本では、当時の作品に、大幅な加筆と訂正が加えられてあり、当時私がこの作品で一番の ハイライトシーンだと思っていた、終盤のライトアップされた高知城をバックにした、杜崎拓と村上里伽子の シーンの挿絵と文章が省かれていたことには、なぜここを省くのかと作者の意図が分かりませんでした・・・。
    実際の私は、男子校に進み、この作品とは全く関係のない高校生活を送りましたが、共学校の学校生活の 様子を少なからず知り得たような何とも不思議な読後感をこの年になって味わった気がします。



  • 院長この一冊65 2018.03.04
    「九州びいき」 田端慶子
    book

    今回、ご紹介するのは、「九州びいき」です。
    著者は、福岡市在住の女性フリーライター、田端慶子氏。
    内容は、本書の名前どおりに九州を思う存分ひいきしたものです。
    九州人の「気質」、「九州の神さま」、「九州のスポーツ事情」、「九州の食文化」といった 分野にわけて、九州のことを著者なりに深く考察してあります。

    「気質」に関しては、「九州男児」、「亭主関白」、「九州女子たちの恋愛体質」といった 性格的な部分にフォーカスが当てられ、共感できる部分もあれば、そうでない部分も ありましたが、そこは、私と著者との性別の差によるものではないかと感じました。
    我が鹿児島県については、市電の中に常備されている置き傘、「かえるの傘」が きちんと帰ってくることに驚きの記載がなされています。
    当たり前のことのように思いますが、全国的には珍しい事象なのかもしれません。
    長渕剛については、売れない長渕を支えた博多の人情があってこそ、今の長渕が あると結論づけていますが、どうなのでしょうか。

    「九州と山口」という項では、山口県に対する、愛慕の思いが書かれており、 そこは、本籍が山口県である私も共感できました。
    「九州の神さま」の項では、私が、以前から、並々ならぬパワースポットと感じていた、 宮崎の江田神社、みそぎ池の記載が見られ、共感致しました。
    私が以前に、この本を手にとったのは、自分自身が九州・山口でしか生きていけないと 感じたからです。同じ日本とはいえ、県民性は確かに存在し、私は、九州人で、 九州・山口の生活感の中でしか生きられない。その理由をはっきりさせたくて本書を 読んだのですが、理由は、はっきりしたようなしないような・・・。
    ただ、量も手頃で読みやすく、おもしろい本であることは確かです。
    この春、九州・山口地方に転勤される方にお勧めの一冊です。



  • 院長この一冊64 2017.11.17
    「琥珀の夢」 伊集院静
    book

    今回、ご紹介させて頂くのは、伊集院静氏の「琥珀の夢」です。
    最近、出版された作品ですが、サントリー創業者の鳥井信治郎氏の生涯を書いた 作品です。
    上下2巻にわたる長編ですが、非常に面白く、この先、くじけそうな時に読み直すことで 間違いなく立ち直れるきっかけを与えてくれるであろう生きる標の一冊になった気がしました。

    冒頭は明治時代の大阪の描写から始まり、その時期すでに、サントリーの前身、 寿屋洋酒店の大将として、名声を得始めていた、鳥井信治郎氏の日常が書かれます。 そこには、まだ幼い、丁稚奉公時代の松下幸之助氏も登場し、読者をぐいぐいと惹き込んで いきます。

    私が、特に惹き込まれたのは、第二章「丁稚奉公」の部分です。
    家業の銭両替商、そして米穀商が奮わず、幼くして丁稚奉公に出された鳥井氏が その機転と才覚で徐々に頭角を現していく様は、読んでいて、大変勇気づけられます。 奉公先の主人、小西儀助に挨拶の仕方、掃除の仕方、商いの勘所を徹底的に叩き込まれ、 そのことがあとあと、鳥井氏の独立の際に大きく役に立つ場面は、おこがましくも11年前の 私自身の姿に重なるところがあり、大変共感を覚えました。
    作品の一部を抜粋すると・・・、
    「これまで一度も逢った経験のない人物の姿を思い浮かべた。
    他の人とどこが違うんやろか。
    昨日までと店の中の空気がまるで違っていた。
    どう表現していいのか若い信治郎は言葉を持たなかったが、人が一人そこにいるだけで 何もかもを一変させてしまう「人の力」のようなものを初めて目にして興奮した。」・・・ ここの描写は、まさしく、私が恩師に感じた感覚と同じです。
    さらにページをめくると、小西儀助の下記の重厚な言葉がありました。
    「奉公するということは、仕事を覚えることや。仕事を覚えるいうのんは、勿論、店の ためやが、それだけやない。おまはんのためでもあるのや。せやから奉公いうもんは 厳しいんや。辛いことがなかったら、それは何ひとつ身に付かんのや」
    鳥井氏が寿屋洋酒店として独立した後も、小西儀助は要所要所で、貴重な助言、支援を 惜しみません。この作品を読み、私は改めて恩師への感謝の気持ちを再確認した気が しました。

    後半となる下巻では、日本産ウイスキーを生み出すまでの艱難辛苦が書かれています。
    サントリーの看板ウイスキー「山崎」を後年生み出すことになる、山崎蒸溜所を建てる 場面は、誰もが資金的に無理だといって止める中、自分の信念を貫き、大勝負に挑む 鳥井氏の姿勢に読み手は皆、勇気をもらうのではないでしょうか。
    完成した山崎蒸溜所を見た、味の素社長、鈴木三郎助氏の次の言葉。
    「わては今日、この工場を見て、一年前に皆で反対したわてらには見えてへんもんが 鳥井はんには見えてたんやと思うた。闇の中にあの男は独りで立つことができるんや。
    誰も怖うて踏み出せん新しい商いの道を踏み出しよったんや。」
    これは、自分自身に勝つことの大切さと私は理解しました。
    先日、不惑を迎えましたが、この10年の私の土性骨となるであろういい作品に出会えた ことを感謝します。


  • 院長この一冊63 2017.10.20
    「代表的日本人」 内村鑑三
    book

    今回ご紹介しますのは、内村鑑三著の「代表的日本人」です。
    元々、日本の文化・思想を西欧社会に紹介するために英語で書かれた著書だったようです。
    表紙には、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人という5人の日本人の肖像画が 描かれています。
    この5人の中で、作品中、最初に紹介されているのが、西郷隆盛です。
    この5人の紹介順に、内村鑑三氏の特別な意図があるのかは分かりませんが、最初に書かれている西郷は、 特に、西洋諸国に紹介したい一押しの日本人であったのだと考えてよいのかもしれません。
    本書の西郷についての記述は、わずか、40数ページですが、そのほとんどが、西郷の思想と精神性に ついての記述に割かれています。「敬天愛人」とは、西郷の思想を一言で表した言葉でありますが、 そこに達するまでの過程を本書はコンパクトにわかりやすくまとめています。
    内村鑑三氏は明治維新に必要だったのは、「すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、「天」の 全能の法にもとづき運動の方向を定める精神でありました。」と述べており、この役を担ったのが西郷だと 言い切っています。

    来年2018年の大河ドラマは、この西郷を主人公にした「西郷どん」。この発表があったのは、1年ほど前で ありました。おお、「西郷どん」か!と嬉しいなと思いつつも、原作者の名前を聞いた時は、耳を疑いました。 果たして、この原作者に、あの西郷の精神性が書けるのかと。ここ数年の原作者の作品の方向性、 週刊誌等のコラムでの発言は、西郷の精神性とは対極としか思えないからです。
    昨年、恩師にこの話をすると、間髪入れずに「西郷さんに失礼」と、私と同感のようでした。
    鹿児島の人間として、切に願うのは、原作者がこれまで書いてきた下衆なトレンディ路線の延長で決して 西郷を書いて欲しくないということです。 NHKがどういう意図で、決めたのか分かりませんが、決まった 以上は、史実に基づき、西郷の品格を汚さぬように、鹿児島県民の心情を害さないような作品に仕上げて 欲しいと願うばかりであります。


  • 院長この一冊62 2017.10.16
    「残照 井上靖 道彩々」 森井道男
    book

    今回、ご紹介しますのは、私の好きな作家、井上靖氏の研究で知られる 森井道男氏の著書、「残照 井上靖 道彩々」です。
    今年、中学時代から行ってみたかった金沢という町にようやく行くことができ、 一度この目で見てみたかった井上作品「北の海」の中に出てくる犀川、W坂、 四高記念館、兼六園、香林坊。
    そして定番の東茶屋町。
    もう、思い残すことはないという境地で北陸を後にした小松空港の売店で手にした一冊。
    帰りの飛行機の中で一気に読み切りました。
    私は、2011年に他界した祖母から、多くの話を聞いて育ちました。
    その話の裾野は、昭和の政治、経済、産業、戦争、文学、スポーツと、多岐にわたり、 なかでも、私は文学に関して、かなり祖母の影響を受けました。
    井上作品の「楼蘭」「風濤」を強く勧められ、その後、「真田軍記」、「風林火山」と言われるが ままに手にした中学時代でありました。なかでも、自伝的小説三部作の一つ「北の海」は いまでもそのぼろぼろになった表紙を開くことがある思い入れのある一冊です。
    井上氏が金沢の第四高等学校に学び、柔道に明け暮れた学生生活を回顧して書いた作品 なのですが、その中に出てくる、「練習量がすべてを決定する柔道」という言葉が読後30年近くに なろうとする今でも、私の心に刻まれているのです。
    あの頃から、「練習量がすべてを決定する柔道」が行われた第四高等学校の跡地を見てみたい、 過酷な練習のあとで下宿に帰るときに登っていたというW坂を見てみたい、そして多くの文学者を 輩出した金沢を流れる犀川を見てみたいという希望がありました。
    今回の著書「残照 井上靖 道彩々」には、これまで私が知りえなかった井上氏の多くのエピソード が書かれていました。そのほとんどは本書に譲るとして、四高開学100年の記念誌に井上氏が 寄稿した詩について、本書を読むまで、目にしたことがなかったため、ここで引用させて頂きます。

    若き日、
    ふらふらと紛れ込み、
    三年の籠城を余儀なくされた、
    あの北陸の朱い煉瓦の砦、
    一体あれは何であったのか。
    あそこでは希望も絶望も、
    勉学も無為も、
    清純も頽廃も、
    なべて等価値、
    その一つ一つが
    宝石の輝きを持っていた。
    ああ、
    時に日本海の潮騒の音に揺れ、
    時に流星の長い光芒の尾をその上に架けた、
    あの自由と正義を標榜する朱い煉瓦の砦、
    一体あれは何であったのか。
    時移り、
    世変わり、
    今日それを糾す術はない。
    ただ当時のいかなる思出の欠片にも、
    純粋無比の形で、
    青春の落款だけは捺されている。

    私も自身の高校時代を思すと、この詩に妙に共感を覚えてしまうのです。
    一体あれは何であったのか。と。


  • 院長この一冊61 2017.07.30
    「神の島 沖ノ島」  藤原新也 安部龍太郎
    book

    今月9日、世界遺産に登録された、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」。
    私が、沖ノ島という島を初めて知ったのは、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」でした。
    「坂の上の雲」という作品は、「院長この一冊25」でも紹介させて頂きましたが、 全8巻に及ぶ長編です。その終盤は、日露戦争で日本が大勝利した日本海海戦についての 詳細が書かれていますが、その中で、「沖ノ島」という章があり、この島についてもかなり詳しく書かれています。
    日本海海戦は、司馬遼太郎氏をして、「人類が戦争というものを体験して以来、この戦いほど 完璧な勝利を完璧なかたちで生みあげたものはなく、その後にもなかった」と言わしめたものです。
    この海戦に負けていたら、日本はロシアの植民地となり、歴史は大きく変わっていたことと思います。
    実は、この日本海海戦は、沖ノ島近海で行われ、唯一の民間目撃者が、沖ノ島の神職、宗像繁丸氏の 使用人だった佐藤市五郎という少年でした。佐藤少年が海戦の一部始終を沖ノ島の山頂から見守る間、 神職である宗像繁丸氏は、海へ飛び込み禊を行い、神殿で懸命に祝詞をあげたといいます。
    この海戦での勝利は、神の島・沖ノ島からの見えざる力が働いたことによるものとは考えられないでしょうか。
    事実、この海戦の作戦を立てた、秋山真之氏は「天佑の連続だった」と言い、無数の幸運を神意としか 考えられなくなっていたと書かれています。

    前書きが長くなりましたが、今回、ご紹介させて頂く一冊は、「神の島 沖ノ島」。
    写真家・藤原新也氏と小説家・安部龍太郎氏の共著です。
    前半は、写真家・藤原新也氏が、沖ノ島について、幼少時に遭遇した奇妙なエピソードから、写真家として この島に足を踏み入れるまでの経緯を書いています。この方は、写真はもちろんですが、文章もかなり 読み手を惹き込むものを書かれます。
    本の中盤は、藤原氏の撮影した、沖ノ島関連の写真が続きますが、かなり神聖です。
    「お言わず様」と言われ、島で見聞きしたことは口外してはならないというしきたりで知られる沖ノ島の 写真をこうして公開してもよいのか、はたまた、このような本を購入してしまう私自身は許されるのかと 思わなくもないのですが・・・。
    本の後半は、安部龍太郎氏が実際に体験した沖ノ島でのことが書かれています。
    そして、この本の最後には、私が冒頭で触れた、日本海海戦と沖ノ島についても記載があります。

    日本の大きな危機であった、「元寇」と「日露戦争」。
    これらから国を守った、「沖ノ島」には、やはり畏怖の念を持たざるを得ません。
    関心のある方は、この一冊を手にとられてみて下さい。圧倒されます。

  • 院長この一冊60 2017.07.23
    「国菊 あまざけ」 株式会社 篠崎
    book

    今月7月5日に起こった、九州北部豪雨災害。
    被害の大きな地域として、福岡県朝倉市と聞いた時、真っ先に思い浮かんだ同期のこと。
    篠崎君とは、24年前、高校のラグビー部で知り合いました。
    高校卒業後は、同期の結婚式で数回顔を合わす程度でしたが、現在は、家業である 酒造会社で頑張っていると友人づてに聞いておりました。
    時折、雑誌で紹介されている、「千年の眠り」、「朝倉」といった同社の商品を目にするたびに 彼は元気にしているのかなと高校時代の彼の面影を追っている自分がありました。
    7月5日、テレビで朝倉市の大変な状況をみて、彼の酒蔵は大丈夫なのかと気になり、 ホームページをチェックしましたが、災害直後なためか、状況は分かりませんでした。
    私にできることは何かないだろうかと考えた結果、看板商品の一つである、「あまざけ」を ネット上で少し多めに購入しましたが、それでも、物足りなさがありました。
    数日後、同期のメーリングリストで、篠崎君の酒蔵が浸水し、甚大な被害を受けていること、 復旧のめどがたっていないこと等が伝えられ、お見舞金の同志を募るメールが届いたため、 迷わず参加。 こういう時の同期のつながりは、ありがたいことだと思います。

    今回、このコーナーでご紹介するのは、「本」ではなく「あまざけ」ですが、とても美味しいです。 モンドセレクション金賞受賞も頷けます。
    現在、ネット上では、入手困難となり、価格も高騰しているようですが、関心を持たれた方は 是非、「株式会社篠崎」の各種製品を手にとられて下さい。
    朝倉市、そして株式会社篠崎様の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。


       朝倉         千年の眠り


  • 院長この一冊59 2017.07.16
    「めぞん一刻」 高橋留美子
    book

    今回、ご紹介させて頂くのは、私の大好きな漫画、「めぞん一刻」です。
    随分と古い作品ではありますが、私の中で、この作品以上の漫画は、後にも先にも 出てこないと思っています。
    小学4年生の頃、アニメで放映されていましたが、よく内容が理解できず、 きちんと見てはいなかったのですが、ふとしたきっかけで、中学3年生の頃に 漫画の原作を読み始め、ずいぶんと、はまってしまった作品でありました。 この漫画に対する色々な評価を見ましたが、「ラブコメディーの金字塔」という 書かれ方が一番本質をついた一言だと思いました。

    話の中心は、時計坂にあるアパート「一刻館」の住人である五代裕作と アパートの美人管理人である音無響子とのはっきりしないやりとりです。
    未亡人である音無響子は、亡き夫のことを引きずり、どこか影のある女性ですが、 徐々に五代に惹かれていきます。 その過程で、様々な出来事がおもしろおかしく 起こります。漫画の中の大きな仕掛けの一つが、アパートの住人の名前と、 部屋番号がリンクしていることです。
    0号室は音無(無しなのでゼロ)、1号室は一ノ瀬、2号室は二階堂、4号室は四谷、 5号室は五代、6号室は六本木・・・と。住人以外の登場人物にも、数字が使われて おり、物語を読み進めていくうえでのちょっとした仕掛けになっているのです。
    話の展開もテンポがよく、笑いがちりばめられ、結局、誰も傷つかずに、 ハッピーエンドを迎えるところが何よりいいです。

    最近、漫画は読みませんが、漫画は、歴史・経済・社会問題等をわかりやすく 表現してくれるツールとしても優れています。
    何気なくページをめくりますが、一コマ一コマに多大な労力がかけられていることに 敬意を払って読まなくてはと思います。
    「めぞん一刻」、未読の方はぜひお読みになって下さい。

  • 院長この一冊58 2017.06.18
    「落日燃ゆ」 城山三郎
    book

    今回、ご紹介しますのは、城山三郎氏の「落日燃ゆ」です。
    太平洋戦争後、その責任を問う、「東京裁判」において、A級戦犯となった、 元総理大臣で、外相の広田弘毅氏。
    本書の前半は、広田氏の生い立ちから外務省への入省過程、そして外交官として、 各国との様々な交渉を行ってきた様子が書かれています。
    日常、ニュースでアメリカやその他各国とのやりとりを見聞きしますが、 実際、外交官という職種の方が、どのような働き方をしているのかは 知る由もありませんでした。
    本書の前半で、外交官という仕事がどのようなものなのか、広田氏の仕事ぶりの 記録から少し垣間見ることができたように思いました。
    そして、本書の後半では、終戦を迎え、GHQの管理の下、太平洋戦争の戦犯を明らかにし、 処分を行う、「東京裁判」についての詳細な記載がなされています。
    戦時中は、強大な権力をふるった軍人の幹部たちが、罪をいかに免れるかで右往左往するなか、 「自ら計らわぬ」という若き頃からの信条の下、淡々と裁きが下りるのを待つ、広田氏の様子は その潔さが際立っていました。
    A級戦犯と宣告された7人のうち、6人は軍人で、その裁きは概ね妥当であったようなのですが、 軍人ではなく、外交において戦争回避の努力を最後までし続けた広田氏がその中に含まれたことに、 関係者の多くは異論を唱えました。
    しかし、当の本人である広田氏は、「自ら計らわぬ」の信条の下、裁きを受け入れて、 この世を去ります。

    2015年に戦後70年を迎えたことをきっかけに手にした本でしたが、読み切るまでに随分と時間が かかってしまいました。
    最近の報道を見ていても、この本が題材にした時代の様子を多くの方が、知っておく必要が あるような気がしてなりません。

  • 院長この一冊57 2017.03.12
    「建築家、走る」 隈研吾
    book

    今回、ご紹介しますのは、建築家、隈研吾氏の著書「建築家、走る」です。
    東京オリンピックに向け、新国立競技場の建設にも関わる隈氏ですが、 私が、強く関心をもったきっかけは、ある経済誌に掲載されていた、 「食はその人の知性をあらわすものではないでしょうか」という一言でした。
    その経済誌の連載コーナーの一つに、著名人の通う店を紹介するものが あるのですが、そのコーナーに隈氏が掲載されていた際に、上記の発言が 書かれており、妙に記憶に残ったのです。
    全くといっていいほど、食に造詣が深くない私は、確かに、この一言は一理あると 不思議と納得させられたのです。
    そんな隈氏の著書を書店で見つけ、手に取り、中身を読み始めると、 面白そうでしたので購入したわけですが、予想をはるかに上回る面白さでありました。
    そこには、建築家という仕事の日々の営みが書かれていました。
    コンペで仕事を勝ち取り、結果を出す過程の厳しさ。
    限られた予算を伴う依頼に対し、アイデアを振り絞って応えようとする産みの苦しみ。
    これらの詳細が過去に手掛けた建築物を事例に書かれており、臨場感がありました。
    他にも、建築の歴史についてもわかりやすく書かれてあり、いかに日本が多くの 優れた建築家を輩出しているかを知るきっかけにもなりました。
    所々に掲載されている建築物の写真も、優れた仕事とはこういうものをいうのだなと 他職種とはいえ、刺激を受けました。
    本文の中で、心に残った箇所は二つ。
    「あきらめを知ったら、人生が面白くなった」という項と、「右手がダメになった」という項です。
    「方丈記」や「平家物語」の根底にある「あきらめ」による幸せな生き方の勧め、不慮の怪我で 右手が使えなくなったことがかえって他の感覚の覚醒を呼び起こし、仕事に役にたっていること 等、隈氏の生き方のしなやかさが私には新鮮に感じられました。
    建築という専門分野に限らず、歴史・文学・経済と幅広い分野の知識がちりばめられた 独自の生き方・考え方が書かれている、隈氏の知性溢れる一冊。
    建築と歯科医療。全くの異分野の方ではありますが、私が常々思う、「医療人は教養人であるべき」 という理想に近い生き方をされている方だなと感じ入った一冊でありました。

  • 院長この一冊56 2017.03.02
    「GRIT やり抜く力」 アンジェラ・ダックワース
    book

    今回、ご紹介しますのは、昨年、アメリカで話題となった一冊、「GRIT やり抜く力」です。
    中学1年の時からの27年来の友人で、今や、北薩の大病院の院長となった友から 昨年末に贈られた一冊。
    内容は、「才能」ではなく「GRIT」、すなわち「やり抜く力」こそが、物事をなしうる上で 最も大切な資質であるということを、様々な観点から論じているものです。
    冒頭では、米国陸軍士官学校に入学したスーパーエリート達が、その後、過酷な訓練で 肉体的にも精神的にも追い込まれていく様子、そして、最後まで耐え抜いた者たちは 決して入学審査の成績とは相関関係がないことが書かれています。
    入学審査や運動能力等とは関係なく、ただ一つ、「やり抜く力」が関係しており、 このことは、陸軍士官学校の訓練に限らず、いろいろな分野でも当てはまるというのが 著者の主張です。
    本書には、グリット・スケールという、「やり抜く力」の程度を図る、簡単なテストが 掲載されています。自分でも、このテストをしてみましたが、予想通り、平均以下でありました・・・。

    本書には、努力の大切さも書かれています。
    一般的には、才能のある人間の方が、努力家よりも評価されがちですが、本書は、 努力家の方が、結局は成果を出すことが書かれています。

    「やり抜く力」と「努力」。
    要は、幼少時に言われたことが、今の時代も、これから先も、普遍の原理であるということを 再認識したということでしょうか。
    今年も、残り10ヶ月・・・。 
    このたび平均以下であった「やり抜く力」の向上を日々意識して参ります。
  • 院長この一冊55 2017.02.06
    「一日一生」 天台宗大阿闍梨 酒井雄哉
    book

    今回、ご紹介しますのは、2013年に死去された、天台宗大阿闍梨 酒井雄哉氏の 「一日一生」です。
    阿闍梨(あじゃり)という言葉を知ったのは、10年以上も前のこと。
    高倉健さんの著書「旅の途中で」を読んでのことでした。
    その中に、「生き仏 大阿闍梨さまと」 という章があり、酒井氏と高倉健さんの対談が 収められていまして、その内容を読んで、「阿闍梨」という称号と、「千日回峰行」という 荒行について知るに至りました。
    千日回峰行は、7年間かけて行われる比叡山・天台宗の修行です。
    午前零時に起床して、滝に打たれ、身を清めて、午前一時半に出発。
    朝の九時半まで、山の中の峰から峰を1日40キロ、草鞋を履いて走破。
    睡眠時間は3~4時間。食事はうどん、じゃがいも、豆腐。
    これを一年目から三年目は毎年100日間。
    四年目から五年目は毎年200日間。
    六年目は100日間。
    七年目は、京都の市内まで足をのばして84キロの道を100日間、 30キロの道を100日間。
    特に、五年目の700日目の修行が終わると「堂入り」という9日間の荒行が 課されます。
    「堂入り」とは、9日間、眠らず、横にならず、水も食べ物も取らずに、お経を 唱え続けるというもので、場合によっては、死に至るものだそうです。
    先月、NHKのアーカイブスで、この千日回峰行の模様が放送され、見入って しまいました。
    堂入りの5日目あたりで、酒井氏の瞳孔が完全に開いたままになっていると ナレーションが入り、その過酷さが画面を通じて伝わってきました。
    回峰行は、病気やけがによる休みは許されず、途中でやめる場合は、 携帯している短刀で自害しなくてはならないそうです。

    だいぶ昔ですが、私は比叡山を訪れたことがあります。
    比叡山から、滋賀県側へ下る際、初めて琵琶湖を目にしました。
    その美しさは筆舌にしがたいのですが、あの比叡山で、このような荒行が 行われていることなど、当時は知る由もありませんでした。
    酒井氏は、この著書「一日一生」の中で、歩いている途中で倒れて死んだら いずれ土に還って水になり、琵琶湖に注がれ、みんなのための水源となりたい と思いながら歩き続けたと述べていらっしゃいます。

    私自身は、このような荒行とは無縁ですし、到底できるわけもないのですが、 酒井氏は、たとえお坊さんではなくても、毎日の仕事をやること自体が 修行そのものだとおっしゃっています。
    少し怠けたい気持ちになった時、千日回峰行の映像と、この本の内容を思い出し、 自分を律していきたいと思います。
  • 院長この一冊54 2017.02.05
    「稲盛和夫経営講演選集」稲盛和夫
    book

    今回、ご紹介しますのは、「稲盛和夫経営講演選集」です。
     母校、鹿児島大学の大先輩であり、日本を代表する大経営者、京セラ会長稲盛和夫氏。
     私が小学生の頃、祖母から「稲盛さん、稲盛さん」とそのお名前を何度となく聞かされ、  私の誕生時にはすでに他界していたバンカーであった曾祖父も昭和40年代に、  「これからは稲盛さんだ。稲盛さん」と言っていたと聞かされ、幼心に何かとんでもなく  偉い人なんだということだけは刻まれていたように思います。
     そして大学時代から、少しずつ、その数々の著書に触れてきました。
     社会人になり、市販されている、著書のほとんどを購入し、読破してきましたが、  近年、刊行されている、氏の著書は以前の内容と重複しているものが多いなというのが  率直な感想でありました。
     そのような中で、2015年に刊行された、本書は、豪華な箱入りで、値段も1万円を超えるもの。  ビニールでパッキングされており、内容が確認できないため、長らく、購入すべきかどうか迷って  いたものです。
     しかし、先日、思い切って購入しました。
     1巻400ページ近い本が3巻分入っており、まず、その分量に圧倒されるのですが、これまで  稲盛氏の考え方に長らく触れ続け、思索を続けていたからか、ガンガン読み込めました。  読み終わっての感想は、「この本は特別」だということです。
     これまで市販されてきた著書とは、間違いなく一線を画すものでした。
     講演内容をそのまま文字におこしているので、言葉が強烈です。 
     本音で語っており、これまでの著書では触れてこなかった部分がかなり書かれていました。  私が考えるに、言葉が強すぎるので、これまでの著書はかなりオブラートに包んで校正され  出版されてきたんだなということです。
     実際、巻頭に、こう書かれています。
     「一部不適切と思われる表現もありますが、時代背景や講演の臨場感を尊重し、  そのままといたしました。」
     これまでの著書を読んでいて、もっと詳細を知りたいたいと思った箇所が多々あったのですが、  この講演集には、それらの詳細も伏せずに書かれており、随分と発見がありました。

     当たり前のことかもしれませんが、何事も流通している多くのものは当たり障りがないようにして  あるのだなということ、本音、真髄といったものは、それなりの対価・時間を払わないと得られない  のだなということを改めて感じた講演集でありました。
  • 院長この一冊53 2016.08.25
    「男の作法」 池波正太郎
    book

    「作法」、言い換えれば「マナー」となるのでしょうか。
    社会人として人生の3分の1が経過し、よく感じることは、本来の実力とは別に、 いわゆる「作法」を踏まえた行動をしているか否かで多くのことが 決していっているのではないかということです。
    今回ご紹介致しますのは、随分と昔に手にした古い本でありますが、現代でも 通ずる作法の多くを教えてくれる「男の作法」。
    著者は、没後26年が経過した、時代小説家・池波正太郎氏。
    著者自身がこの本について、以下のように述べています。

    「この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。
    しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能で ありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。」

    確かに、この本が発行された昭和56年から35年が経過し、世の中は大きく変わったかも しれません。
    書かれている内容は、鮨、そば、てんぷら、うなぎの食べ方、ビールの飲み方、服装、母親、 万年筆、顔、香奠、病気、運命、死、その他多方面にわたりますが、勉強になります。
    本書を読んで、初めてそうなんだと知った事柄も一つや二つではありませんでした。
    本書の解説を書かれた方が、二十代のころに読んでおきたかったと悔やんで いらっしゃいましたが、私は二十代で本書に出会いましたので、ラッキーだったと思います。 それでも、所作・作法でたくさんの恥をかいてきましたが・・・。
    確かに、現代にそぐわない内容もありますが、学ぶことの方が圧倒的に多いですし、 当時はそうだったのかと、時代背景という知識が広がります。

    来春、社会人になられる方、または社会人になったばかりの方にお勧めしたい一冊であります。
  • 院長この一冊52 2016.08.03
    「たまゆら」 川端康成
    book

    二人は川べり立って、夕映えのなかにつつまれて夕映えをながめた。
    夕映えは大川の水面にもひろがって来ていた
    静かな水の色が夕映えのなかふくらんであたたかく溶け合っているようだった
    高くない山波は川上へゆるやかに低くなってゆく
    その低まりの果てに 日が沈みかけていた
    橘橋の影が美しく水にうつっていた

    上記の格調高い文章。
    ノーベル文学賞受賞者である川端康成氏が、宮崎を訪れ、宮崎市内を 流れる大河、大淀川の河畔のホテルに2週間滞在し、一気に書き上げたという 小説「たまゆら」の一節。
    今もその河畔に立つ文学碑「たまゆら」に刻まれた一文であります。

    川端氏は大淀川の夕陽を大絶賛し、その夕陽見たさに予定より長く滞在したといいます。
    「たまゆら」とはどのような意味なのか。
    調べてみますと、漢字で書くと「玉響」。
    勾玉同士が触れ合って立てる微かな音のことをいうそうです。
    とはいっても、勾玉に触れる機会などそうそうあるわけではないので、 正直よく分からないのですが、非常に繊細かつ儚いもののたとえとして、このような タイトルをつけたのだろうと勝手に推測してしまいます。
    私が、この作品を読むに至ったのは、南九州随一の大河「大淀川」から インスピレーションを得て書かれた作品だと知ったからです。
    私は、なぜか幼い頃から川が好きで、川、特に1級河川クラスの大河に魅かれます。 九州であれば、久留米の筑後川、北九州の遠賀川、そして宮崎の大淀川。
    鹿児島には大河というべき川はありませんので、これらの大河を、県外に出て 初めて目にした時の衝撃は忘れられません。
    そんな九州の大河の一つである大淀川に、九州には縁遠い川端康成氏が惚れ込んだということに 意外性と親近感を感じ、手にした作品「たまゆら」。
    私の予想通りに、繊細な美しい文章で綴られた物語でありました。
    現代の日本人作家ではおそらく書けないであろう作品です。
    川端氏はノーベル文学賞を受賞しましたが、氏の美しい言葉つかい、日本人でなければ 感じることのできないであろう言葉の繊細さを外国語でどのように表現し、世界の文学愛好家に 認められ、ノーベル文学賞に至ったのか、その翻訳過程に興味を持ってしまいます。
    実際に、受賞時のインタビューでは、「翻訳者のおかげ」とも語っていたといいます。

    学生時代、もう少し日本文学を読んでいればと悔やんでしまう今日この頃であります。

    宮崎大淀川
                  大淀川


  • 院長この一冊51 2016.07.28
    「捨てる神に拾う神」 早坂茂三
    book

    2016年上半期ベストセラー第1位となった石原慎太郎氏の著書「天才」。
    日本列島改造論で戦後から経済成長にさしかかった日本の取るべき手法を 明確に示し、現在の日本の姿に少なからず影響を与えた稀代の政治家、 田中角栄氏のことを1人称で書いた作品。購入と同時に一気に読み切りましたが、 私としては、少々物足りなく感じました。
    「天才」よりも、もっと私の心に響き、長年にわたり、読み返した本が、今回、 ご紹介します、「捨てる神に拾う神」。
    著者は、昭和37年から23年間と長きにわたり角栄氏の秘書として仕えた早坂茂三氏。 この本との私の出会いは、大学時代にまで遡ります。
    それ以降、入れ替わりの激しい私の書棚に居座り続ける珠玉の一冊は、 数多の人生訓を私に授けてくれました。
    角栄氏のいろいろな発言・行動が詳細に書かれてあり、今読んでもなお学ぶことが 多いのです。

    角さんという人は、人の顔を見れば、「おい、メシは食ったか」と言っていた。 口癖である。表現は乱暴だが、相手は春風のように聞いた。
    「メシは食ったか」
    初心忘れず。 この言葉は角栄の体験から発した。
    すきっ腹のつらさ、切なさを知っていたからである。
    そして、第十章「親父の小言」に並ぶ40の言葉。

    朝はきげんよくしろ
    人には腹を立てるな
    恩には遠くから返せ
    人には馬鹿にされていろ
    年忌法事はしろ
    家業には精を出せ
    働いて儲けて使え
    人には貸してやれ
    女房は早くもて
    ばくちは決して打つな
    大めしは食うな
    自らに過信するな
    大事覚悟しておけ
    戸締りに気をつけろ
    拾わば届け身につけるな
    何事も身分相応に
    泣きごとは言うな
    神仏はよく拝ませ
    人の苦労は助けてやれ
    親に心配かけるな
    火は粗末にするな
    風吹きに遠出するな
    年寄りはいたわれ
    子の言うこと八、九きくな
    初心はわすれるな
    借りては使うな
    不吉は言うべからず
    難渋な人には施せ
    義理は欠かすな
    大酒は飲むな
    判事はきつく断れ
    貧乏は苦にするな
    水は絶やさぬようにしろ
    怪我と災いは恥と思え
    小商もの値切るな
    産前産後大切にしろ
    万事に気を配れ
    病気は仰山にしろ
    家内は笑って暮らせ
    病と禍は口から

    この40の言葉は、ITが急速に発達し、デジタル時代となった今でも 古さを全く感じさせず、生きる指針として多くの示唆と自己反省の機会を 与えてくれます。
    大めしは食うな という言葉に反した生き方をしてきましたが、やはりその通りで、 そろそろ自重しようと思う、今日この頃であります。



    2016年 上半期ベストセラー総合第1位「天才」 石原慎太郎著
  • 院長この一冊50 2016.02.14
    「有病高齢者歯科治療のガイドライン上・下」 椙山加綱教授
    book

    おかげさまでこのコーナーも50冊目を迎えました。
    区切りの50冊目は、1999年、私が大学2年生の春に出会い、その後のゼミ、そして 研修医時代を経て現在まで17年間にわたり、多大なご指導を頂いております。
    鹿児島大学大学院医歯学総合研究科歯科麻酔全身管理学講座教授
    椙山加綱先生の最新のご著書「有病高齢者歯科治療のガイドライン上・下」です。
    私が大学卒業後、所属した歯科麻酔科と呼ばれる診療科では、主に、口腔外科手術の 全身麻酔を行っており、私は研修医1年目から全身麻酔のファーストとして患者様を配当され、 かなり濃密な経験を積ませて頂きました。
    一般の歯科治療以上に、生死にかかわる局面が多いことから、教授はじめ先輩医局員の 先生方の指導も厳しく、熱を帯びたものでした。
    麻酔担当の日は、4時に起き、5時には手術室で準備をはじめるという日々で、いっぺんに 朝型人間になってしまいました。
    当時、自分では一生懸命にやっているつもりではいたものの、どこかにまだ学生気分が 抜けずにいたのかもしれません。それを見抜いていらっしゃったであろう教授の厳しいご指導で、 少しずつ、社会人らしく、医療人らしくなっていったように思います。
    10年前、私が最後の麻酔担当の時には、教授みずから麻酔導入の介助をしてくださり、 口腔外科の執刀医の先生に、「今日は彼のラストアネステジア(最後の麻酔)だから」と
    言ってくださった光景に今でも胸がいっぱいになります。 教授は、歯科麻酔学の第一人者である一方で、かなりの教養人・知識人でもありました。
    文学・歴史(特に奈良時代)・音楽といずれも造詣が深く、そのお話の奥深さにいつも勉強 させて頂きました。
    私は、いつからか、「医療人はすぐれた教養人であるべき」という持論を持つようになったのですが、 その背景には、医療現場を離れた時に教授が話してくださった、様々な興味深い教養のお話が あるような気がしてなりません。
    今回、ご紹介させていただきました、ご著書の各章に設けられた「俳句で覚える基礎疾患」という コーナーや、以前、出版された「ヒヤリ・ハット こんなときどうする?」に設けられた 「Coffee Break」というコーナーは、まさに教授のすぐれた教養人としての側面が 垣間見えている気がしてなりません。
    今年の3月、つまり来月で退官なされますが、今まで本当にありがとうございました。
    ご指導いただいた日々のことを忘れず、地域医療に邁進して参ります。
    ありがとうございました。


    「ヒヤリ・ハット こんなときどうする?」

    「歯科麻酔科時代 ~教授の熱い指導を受ける私~」
  • 院長この一冊49 2016.02.11
    「歯科医院の発展とその心技体」 下川公一
    book

    先日、恩師の先生から頂戴した貴重な一冊。
    今回ご紹介いたしますのは、歯科の世界では大変高名な下川先生のご著書、 「歯科医院の発展とその心技体」です。
    「根管治療」という言葉。 
    一般の方には聞きなれない言葉かもしれません。 一言でいえば、「根っこの治療」です。
    むし歯が大きかったりで、歯の神経を取らざるを得なかったときに行われる治療 なのですが、非常に手間暇がかかります。
    治療する側も大変ですが、患者様もずっとお口を開けていなくてはなりませんので 大変です。
    この「根管治療」のことを、我々歯科医療者は、英語で「エンド」と呼ぶのですが、 その治療方法に「下川エンド」という名前があるほど、下川先生は御高名なドクター なのです。
    私の恩師は、私を含め、多くの勤務するドクターに下川先生の考え方を講じてくださり ました。特に根管治療は、その後の歯の予後を決めてしまうものですから厳しく、 熱く・厳しいお言葉を頂く毎日でありました。
    「先生、それじゃだめだ」
    「やり直しなさい」
    「根管が開きませんじゃない。開けられませんだろう。
    自分の技量の低さを患者様の歯のせいにしてはいけない。
    そんなことなら先生、歯科医師をやめた方がいいですよ。」
    指導する恩師の先生も言いたくなかった言葉だったことと思います。
    「小善は大悪に似たり。大善は非常に似たり」という言葉があります。
    この意味は、「人を甘やかすと、それはその人に善を施したように思うけれど、 実際はその人をだめにしてしまう大きな悪になる。
    その一方で、相手への厳しい行為は、結局、その人を鍛えることにつながり、 最終的には大きな善となる」というものです。
    あの当時、しっかり言って下さったことで、歯科医療のことはもちろん、社会人とは何か、 常識とは何か、礼儀礼節とは何かと、学ばせて頂いたことは、多岐にわたりました。
    勤務3年目には、分不相応にも新規の分院長を任せて頂き、先述の根管治療に のめり込んでいった私は、根管治療で使うエンドファイルという消耗器具を 大量に消費していました。
    私が管理者だった分院だけ、異常な本数のエンドファイルが消費されるため、 在庫を管理される方に多大な迷惑をかけていたといいます。
    そのことに対して、恩師は「そっとしてあげなさい」とおっしゃっていたんですよと、 後から在庫管理の方に聞かされ、本当に頭が下がる思いでありました。
    今では、開業医となり、勤務の先生もおり、臨床研修指導歯科医となり、多少なりとも、 指導する場面が出てきた私でありますが、あの恩師のような、厳しくも温かい、 人徳あふれる指導力があるのかと思うと・・・無いです。
    無いなら無いで、これから、その10分の1にでも近づけたらと思う毎日であります。
  • 院長この一冊48 2016.01.28
    「空が見ていた」 山際淳司
    book

    今回ご紹介しますのは、スポーツノンフィクション作家、山際淳司氏の 「空が見ていた」です。
    様々なスポーツのノンフィクション作品が10以上収められている短編集 なのですが、その中でも私が好きなのは「12月のエンブレム」という作品です。
    この作品は、強豪・京都大学アメフト部ギャングスターズの名選手で、 試合中に倒れ、死に至った藤田選手、そして藤田選手とチームメイトであり、 良きライバルでもあった松田選手のことが書かれた作品です。
    話の舞台となる1982年は、関西リーグを勝ち抜いた京大が初の甲子園ボウルに 出場した年で、松田選手は主将、藤田選手は副将としてチームの主軸にいました。
    二人の出会いから、日々の生活の様子等が書かれ、藤田選手の死。
    遺影をベンチに持ち込み、絶対に勝つんだという気持ちで迎えた宿敵・関西学院大戦。
    そして、勝利しての念願の甲子園ボウル出場。
    ユニフォームに藤田選手の背番号26のエンブレムを縫い付けて出場した甲子園ボウル。
    40ヤードを独走し、4人目のタックルを受けてボールをこぼした松田選手は26番の幻影を見ます―。
    「そのボールをおさえてくれ、そうすればタッチダウンだ!そう思ったとき、 ぼくのわきをかけ抜けて ボールをおさえた選手、グリーンのユニフォームを着ていた。 あ、あいつだと瞬間思った。
    あいつがリカバーしてくれた。もちろん、本当は別の選手だったんですけれども・・・。」


    高校時代、雪のちらつく鹿児島・緑地グラウンドでの大口高校戦。
    今でも思い出すのは、一期上で主将を務めていた西村さんの姿です。
    自陣ゴール前での密集で負傷し、倒れた西村さん。
    試合は中断。やかんの水がかけられ、周囲が見守る中、痛みに悶絶しつつ 立ち上がった闘志に自然と沸き起こった会場全体からの拍手。
    私は本当のリーダーシップ・キャプテンシーとはこういうものなのだと このとき胸に刻みました。
    卒後は京大ギャングスターズでもご活躍されたと聞いております。
    当時16歳の頃の一期上の先輩の姿。その姿は高校生のものであるとはいえ、 38歳になった今でも易きに流れそうな自分、困難から逃げたくなる自分を 戒めてくれる貴重な光景であります。
  • 院長この一冊47 2016.01.24
    「花と龍」 火野葦平
    book

    今回ご紹介致しますのは、奇しくも本日命日である、北九州市若松出身の 芥川賞作家、火野葦平氏の作品「花と龍」です。
    今から、10年前の2006年、私は大学の医局を離れ、北九州市若松にて、 一般歯科医としてのキャリアをスタートさせました。
    近くの高塔山展望台は、若戸大橋、洞海湾と調和した工場夜景が美しく、 診療後のいい気晴らしの場所でありました。
    展望台横に、河童のお地蔵さんが祭られているのですが、この近くで 生活していた火野葦平氏の作品にも多くの河童が登場するのも若松に 残る河童伝説によるものなのでしょう。

    「花と龍」は自伝的な作品で、火野氏のお父様を主人公にした作品です。 愛媛の松山から、仕事を求め、流れ流れてたどり着いた北九州若松で、 石炭を積み出す仕事から、親方にまで身を立てていくという内容。 主人公である、火野氏の実の父親「玉井金五郎」の左腕には、黒雲をかきわけて、 天に顔をあげている昇り龍の刺青。
    通常であれば、龍はその肢に宝珠の玉をつかんで描かれますが、 金五郎のたっての希望で、昔の思い出にある、菊の花をつかんで描かれます。 作中、青年の客気で彫ったわけですが、「後には生涯の禍根」として書かれて いるこの刺青。上下2巻の800ページにわたる長編ですが、最後に近い場面で 昇り龍の鱗に書かれた「京」の文字が消される部分は何とも風情のある描写で ありました。
    後年、高倉健さん主演で映画化されますが、DVDを購入して観た感想は、 やはり原作の方が優れている気がするということ。

    昔、恩師に連れて行って頂いた若松の料亭金鍋には、映画「花と龍」のポスターが 貼られていたので、従業員さんに聞いたところ、「玉井金五郎さんもここには 昔いらしてましたよ」とのこと。
    その時は、何とも感慨深い気持ちになりました。
    そして、何気なくこの文章を書こうとした今日この日が、火野氏の命日で あったことにも、驚きを覚えました。
    高塔山から見た、晴れた日の響灘。あの海を見ていた当時の自分の 昇り龍のようなひたむきさを懐かしく思うとともに、これからも現状に 甘んじず、変化し続ける努力を課す一年にしたいと思います。


        映画「花と龍」
  • 院長この一冊46 2015.10.18
    「不動の魂」 五郎丸歩
    book
    先月のラグビー日本代表の南アフリカ戦勝利から約1ヶ月。
    予選プール計3勝を記録して、日本国民に、たくさんの勇気を与えて下さった、 ジャパンの皆様、本当にお疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
    今回は、一躍、時の人となった五郎丸選手の著書「不動の魂」を紹介させて頂きます。 ゴールキック前のルーティン。今では多くの方々がそのポーズを真似ていらっしゃいます。
    私が、五郎丸選手を生で観たのは、2008年1月の大学選手権決勝を国立競技場に 見に行ったときです。
    けがを押しての出場でしたが、雨の中、フルバックのポジションに立つ、五郎丸選手は、 それはそれは存在感が大きく見えたのをはっきり覚えております。
    著書では、3歳で兄の影響でラグビーを始めたこと、佐賀工業での徹底的な基礎練習、 早稲田で出会った清宮監督・中竹監督のこと、社会人でヤマハに入社し、紆余曲折を 経たこと、そしてエディージャパンに選抜されてから、W杯直前までのことが書かれています。
    W杯以前の五郎丸選手といえば、著書にも書かれているように、世間では、「無口」 「ぶっきらぼう」「生意気」というイメージだったように思います。
    特に、試合中はにこりともしないのはなぜなんだろう、きっとそういう人なんだろうと思って いましたが、それには、彼なりの勝負にこだわる理由があってのことだったということを この本で知りました。
    エディジャパンでは、バイスキャプテンを務めましたが、エディ監督が五郎丸選手を バイスキャプテンに選んだ理由は、3つの理由からだったとのことです。

    ① 自分自身を持っていて、強い芯を持っているから。
    ② 良い日本の伝統精神、価値観を持っているから。
    ③ 他のキャプテン・バイスとのバランスがいいから。

    スコットランド戦での前半終了間際での五郎丸選手のタックル―。
    あの大ピンチでの神がかり的なタックルに私は一生分の勇気を頂いた気がします。
    「不動の魂」 まさに五郎丸選手を表すタイトルだと思います。
    五郎丸選手、たくさんの勇気と感動をありがとうございました。
  • 院長この一冊45 2015.09.20
    「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 ~エディ・ジョーンズ~」
    book
    本日深夜2時半、英国にて開催されているラグビーワールドカップ。
    ロンドンから南に約80キロの港町にあるブライトンスタジアムで、 ラグビー日本代表が南アフリカを撃破しました。
    あまりの凄さに鳥肌が立ちました。
    観客席の日本人のほとんどが号泣していました。
    この凄さは、ラグビーを知らない方にはよく分からないことと思いますが、 サッカーのワールドカップで日本がブラジルに勝つことくらいの凄いことなのです。
    高校時代、深夜に生中継で見た、ラグビーワールドカップ南アフリカ大会では、 ニュージーランドオールブラックスに17対145という大敗。
    あまりのワンサイドゲーム。
    国内ではヒーローだった選手たちが、ニュージーランドの選手たちに蹴散らされていく画面に 愕然としたことを、覚えています。
    あの平尾誠二氏ですら、当時、「オールブラックスに勝つには100年かかる」と言っていました。 あれから20年。
    そのオールブラックスと同等の強さを誇る南アフリカに、本日早朝、34対32での歴史的勝利。
    ラグビー日本代表の皆様、たくさんの勇気を頂きました。本当にありがとうございます。 そして、エディー・ジョーンズ監督。日本にたくさんの感動を本当にありがとうございます。

    今回、ご紹介しますのは、今年の1月にNHKで放送された、 「プロフェッショナル 仕事の流儀 エディー・ジョーンズ」 です。
    私は、この放送を、録画し、これまで幾度となく繰り返し見てきました。
    モチベーションが上がらない時、自分を奮起させなくてはならない時、 この放送を再生し、エディージョーンズ氏の姿とコメントを自分に刻むのです。

    「日本のチームはタフなチーム」
    「技術あります」
    「体力あります」
    「大事な勇気あります」
    「ハッピーにしない」
    「ハードワーク」
    「世界一過酷な練習」

    訥々とした日本語で語りかける小柄なエディー監督。
    試合前には、各選手にメッセージをしたためる姿。
    「きみのベストゲームになるはずだ。歴史を作ろう。」
    こんなメッセージを監督にもらい、奮起しない選手がいるはずは ありません。
    番組の内容は、昨年、宮崎シーガイアで行われた日本代表合宿の密着取材。 朝の練習は6時スタートですが、エディー監督は5時に現場に入り、 ウォームアップして選手を待ちます。
    趣味は「日本人観察」
    その哲学は「強みを知り、強みを伸ばす」
    「日本人にあったスタイルと戦術を築かなくてはならない」とコメントし チームの強化を続けていらっしゃいました。
    「ジャパンウェイ」 という言葉で表現される、日本人らしい戦い方の追究。
    エディー監督の考えていらっしゃる、日本代表の強み。
    それは
    「どんなに厳しい練習にも耐え、向上心を持ち続ける勤勉さだ」と おっしゃっています。 そして自身が課す「世界一過酷な練習」に耐える日本人選手をみて こうコメントを残しています。

    「日本人は体も小さいし、経験も少ないので、海外の強豪よりもハードに練習しないといけません。
    日本人の強みはまじめで忍耐力があることです。
    それは間違いなく世界一です。
    ほかの国の選手ならとっくに逃げ出しているでしょう。」

    「どんどんミスをさせる」
    これもエディー氏の練習方針の特徴です。
    「私たちは失敗から学ぶのです。人生もそういうものでしょう。
    日本の練習で一番間違っているのは、ミスをしないように練習をすることです。
    ノーミス! ノーミス! と叫んでいますが、ミスをするから上達するのです。」
    ある優しい性格の選手に、プレーの激しさが見られないことに憤りを感じ、呼びつけ、「なぜ日本が勝てないかというと、日本人は優しすぎるから。
    相手を痛めつけるという思いでやらないと。
    争いなんだから勝ちたいと思わないと。
    それは習慣づけないといけないし、態度で示さないといけない」 と諭すエディー監督。

    「勇気を持て」
    これもエディー監督がよく口にする言葉です。
    その真意は下記のコメントによります。
    「ラグビーは最も体格がものをいうスポーツです。日本人は常に上の階級の相手とボクシングをしているようなものです。だから選手が勇気をみせてくれた時、私はとても満足します」

    「メンタルを強く」
    エディー監督は、日本人の弱さはメンタルにあると言っていました。
    そして、メンタルを強くするには、ハードワークをこなす以外にないと。
    ハードワークをこなしたという自信が、自分を変え、メンタルを強くするのだと。

    これは、ノーベル賞を受賞したIPS細胞の山中教授の信条である「VW」とも共通しています。
    「VW」とは、「VISION & WORK HARD」 の略です。
    これまで、私自身もハードワーカーのつもりでいましたが、全くの勘違いで恥ずかしい限りです。
    水曜日に行われる、スコットランド戦。
    ジャパンの快進撃を期待して、そわそわせずにはいられません。
  • 院長この一冊44 2015.09.18
    「究極の勝利 ULTIMATE CRUSH」 清宮克幸
    book
    先月、熱戦を繰り広げた高校野球―。
    野球を本格的にしたことがない私は、めったに高校野球を見ないのですが、 今年は、かなりチェックをしていました。 それは、怪物1年生の早稲田実業・清宮幸太郎選手のことが気になって 仕方がなかったからです。
    この選手が、ラグビー界ではビッグネームである清宮克幸氏のご長男で なければ、私は何の関心も持たず、高校野球も見なかったことでしょう。 今回、ご紹介しますのは、怪物1年生の父、清宮克幸氏の著書です。

    清宮氏といえば、2000年代初頭に低迷気味だった早稲田大学ラグビー部を、 常勝集団に復活させた名監督。
    今も昔も、見た目から親方のような勝負師の風貌で、カリスマ性にあふれる方です。 大学時代は早稲田で日本一、社会人でもサントリーで日本一、ビジネスマンとしても ずば抜けていたという清宮氏。
    何とかしてくれそうな雰囲気が漂うこの方は、全ての試合のビデオを分析して、 ボールの動かし方、ミスの回数、連続攻撃の精度などを数値化し、練習を 合理化することで、1日6~7時間の練習時間を2時間に短縮。 早稲田の監督在任5年間で、3回の全国優勝と2回の準優勝という結果を 残されました。
    一見、全てを合理化する合理主義者かと思いきや、この本の中にある、 「科学と非科学の融合」という章では、泥臭いことも書かれています。 特に、試合に負けた後に、選手を絞り上げる「絞り練習」については、 「理不尽だ」 「非科学的だ」 という声も上がる中、清宮氏はその意義を この章でこう説いています。

    絞り練習の目的は、チームの技術力の向上ではない。
    絞り練習は非科学的だという前提で、敗戦後の選手を絞っているのだ。
    なぜか。
    絞られている集団のなかからは、きついときにがんばれるリーダーが 必ず出てくるからだ。
    ここでがんばることができない選手は、根本的な部分で信頼が置けない。 最後の最後に体を張らない選手はだめなのである。
    「最後の5センチへのこだわり」 「最後の一歩のこだわり」 といったものは、 そういうところから出てくるのだが、大試合では往々にして、これで勝負が 決まる。そういう「最後のこだわり」や、理不尽な練習から生まれる大事な 「何か」を選手に身につけさせるために絞り練習は行われる。―

    徹底的な合理主義者と思いきや、理不尽の必要性も明言されていらっしゃる ことに驚くとともに、親近感を持ちました。
    このような父親に幼少時から薫陶を受けると、高校一年生にして、世間を 騒がせる存在になるよなと思いつつ、多少の羨ましさも感じました。
    いよいよ、本日、ラグビーワールドカップ2015が始まります。
    ジャパンの快進撃に期待を弾ませ、しばらくはそわそわした毎日が続きそうな 今日この頃です。
  • 院長この一冊43 2015.08.22
    「激愛」 長渕剛
    book
    本日、鹿児島の生んだスーパースター 長渕剛氏が、富士山麓ふもとっぱらで 10万人オールナイトライヴに挑んでいらっしゃいます。
    今から、11年前に、7万5000人を集めた、桜島オールナイトライヴ。
    今も伝説となっているこのコンサートに私は幸運にも参加させて頂きました。 あの日、午前中は鹿児島特有のスコール豪雨。
    夜の21時開演ながら、天気は大丈夫なのかと心配しつつ、私が歯学部に 進むきっかけとなった先輩ドクターと桜島桟橋から、桜島フェリーに乗り、 桜島へ渡りました。
    市街地である天文館には、普段見かけないような、筋骨隆々で黒のタンクトップに 金のネックレスをした人々が多数溢れ、コンビニのおにぎりは完売。 のちに経済効果50億だったといわれたのも分かるような、異様な雰囲気でありました。 桜島に渡ると、会場までの徒歩30分の道程。 その所々で、幾人もの長渕剛氏のそっくりさんが、路上ライヴを始め、これまた異様な 雰囲気でありました。
    会場入りし、場所を確保し、待つこと数時間。
    ハーレーダビッドソンに乗って現れた、稀代のシンガーソングライターに向けて 上がり続ける7万5000人の拳と「剛コール」。
    本当に圧巻でありました。
    オープニングの「勇気の花」に始まり、「泣いてチンピラ」「孤独なハート」「とんぼ」「情熱」と ひたすらアップテンポで、息も絶え絶えになった開始から1時間半後、 「みんなに最高のラブソングを贈ります」と言って、「激愛」のイントロとともに、ブルーライトに照らされ 浮かび上がった長渕氏の姿は、強烈で、神秘的で、現人神を見ているような感覚に 陥ったことを今も強く覚えています。
    この「激愛」という曲は、以前から、大好きな曲でした。
    引き込まれるようなイントロと過激な歌詞を静かに歌い紡ぐ長渕氏に、私の眼には、涙がたまり、 その姿はいつしか揺れてぼんやりとしか見ることができなくなりました。
    映画オルゴールの主題歌にもなった「激愛」 今回の富士山ライヴ直前ファン投票ベスト30曲から漏れた曲ではありますが、 私にとっては大事な一曲です。

    現在、桜島は、火山性地震、山体膨張が続き、噴火警戒レベル4となり、鹿児島県全体が 緊張に満ちています。 この2年間、5000メートル級の爆発的噴火が続き、噴煙が、私が少年時代に見ていた場所とは 異なる位置から上がることから、何かが違う、やばいんじゃないかと思っていました。 そして、この一か月あまり、噴火らしい噴火もなく、妙な静けさが漂うだけに、一層、大噴火を 想像してしまい、気が気でありません。
    「姶良カルデラ」の名前も全国的にだいぶ浸透しているようで、火山のど真ん中にいることを自覚せずには いられませんが、やはり、桜島なくして鹿児島は語れないのも事実であります。
    明治維新の西郷隆盛、大久保利通。日露戦争の東郷平八郎。京セラ会長にしてJAL再建の稲盛和夫氏。 日本の分岐点に、必ず現れるのは、我が薩摩の英雄達。そして、本日、多くの日本人を熱狂させる長渕剛氏。 このような偉大な大先輩を輩出し続ける、鹿児島県。
    私は、桜島の雄大な存在感が、先人達の心に火を灯してきたに違いないと思っています。 桜島がなかったなら、偉大な先人はこうもたくさん出ていなかったことでしょう。 歴史も大きく変わっていたでしょう。
    いまだに江戸時代だったかもしれません。ロシアに占領され植民地になっていたかもしれません。
    JAL再建もならずアベノミクスも立ち消えたかもしれません。
    歴史の創造者を育んできた薩洲薩摩―。
    このような土地に生を受けたこと、姶良カルデラという火山のど真ん中に、「姶良」の地名を屋号に掲げて 日々生きているという不思議な事実を真摯に受け止めて、今日は、富士山麓で歌われる「激愛」に思いを 馳せたいと思います。
  • 院長この一冊42 2015.08.15
    「二十四の瞳」  壺井 栄
    book
    戦後70年―。
    この70年という期間をどうとらえるのかと考えた時、私はまず自分の年齢を考えます。 現在、37歳。これまでの37年間は、本当にあっという間だったというのが正直なところです。 終戦から私が生まれた年までの期間よりも、私が生きてきた年月の方が長いという事実―。 そう考えた時、私にとって終戦とはそう遠い過去ではないように感じるのです。 今回ご紹介するこの一冊は、国民的な名作「二十四の瞳」です。

    師範学校を卒業して間もない新米の女教師・大石先生が、瀬戸内の分教場に赴任し、 12人の小学校1年生を担任するところから物語は始まります。 12人の子供たちが大石先生を慕い、学年が上がっていくわけですが、その間、 日本の状況は刻一刻と戦争色を強めていきます。 国際連盟を脱退後、国民精神総動員、徴兵検査、治安維持法と現在では考えられない 不条理。

    それを当たり前のこと、もしくは仕方のないこととして粛々と生きる日本国民。 こういうことが今後も繰り返されるのか私にはよく分かりませんが、ただ一つ言えるのは、 現在がとにかく恵まれているということ。
    話が中盤に差し掛かると、12人の子供たちにそれぞれの運命が降りかかります。 産後の肥立ちが悪い母親を急に亡くし、家庭の事情から、義務教育も途中に奉公に 出て行かざるを得なかった「松江」という少女。
    中学3年の5月、余命数か月と母親が宣告され、祖父母宅に引き取られ、自分の 行く末が全く見当がつかず暗澹たる思いで数か月を過ごした自分の身を思い出し、 その後、希望の高校に合格し、大学にも行かせてもらい、最高の恩師に出会い、 分不相応にも世間様に自分の医院を持たせていただいた幸運。
    松江という少女に比べ、なんと自分は恵まれているのかと、そして、一生懸命に 生きているつもりですが、あくまでつもりであって、当時の人々に比べれば、 いい加減な生き方に過ぎないのではないかと。

    この「二十四の瞳」に出てくる、12人の生徒達は、生きていれば、現在90歳前後と 思われます。 12人の生徒達と同じ年代であろうと思われる、患者様にお世話になる機会も 少なくありません。そういう方々が私を見てどう思っていらっしゃるのか。 おそらく底の浅さが見えて不快な思いをさせているのではないかと思います。

    戦後70年を生きてきた先輩方には遠く及びませんが、せめて診療をさせて頂く 土俵には上げて頂けるよう、技術はもちろん、教養・精神面での研鑽に努めて 参ります。
  • 院長この一冊41 2015.07.02
    「星を知る」  中竹竜二

    去る5月8日に当院は、無事開院3周年を迎えることができました。
    歯科医師として12年目のシーズン。これまでの歯科医師人生を支えて下さった 多くのみなさまに感謝致します。
    今回、ご紹介致しますのは、「星を知る」という文章。
    私が19歳の頃から、敬愛してやまない中竹竜二氏が、1996年10月、 幼少時所属していたという少年ラグビークラブの記念誌に寄稿された文章です。

    小学一年生、6才、大きなランドセルに連れられ始めて間もなく、 兄に手を引かれ遠賀川の土手でラグビーと出会い17年。
    「今年で本当に最後だ。もう少しだけ頑張ってくれ。」
    無理をし続けてきたこの身体に毎日そう言ってグランドに足を入れる。
    両肩脱臼癖だったため右肩には大学一年生のときに手術でボルトを 入れた。腰にはヘルニア、分離症、スベリ症と病名は何でも付けられるほどで、 首には同じくヘルニア、両膝間接内側靭帯損傷、両足首捻挫持ちで、テーピングと サポーターがなければ試合に出れない。
    手の指10本中半分以上の指にテーピングをしなければこれもまたラグビーが できない。上前歯3本は自分のものではなく、右眼は昨年の5月に眼底骨折のため 手術した。今でも複視である。
    中鶴少年ラグビーに始まり、ジュニア・東筑高校・福岡大学に寄り道して、 現在、早稲田大学ラグビー部主将として日本一への路を歩んでいる。 誰もが驚いた主将就任。
    その日までぎりぎりのところで頑張ってきたこの身体に、どうして自分ばかり こんなけがをするのかと何度恨んだことか。
    怖くてグランドに立つことさえ怯えた日も多かった。
    プレーヤーを辞めてトレーナーになろうと決心したこともある。
    しかし今は、親から授かったこの身体、奇跡とも言える確率で巡り会った遺伝子の 結合の産物たる偉大さに感謝し切れないほどである。
    上京し、数日後、此の世のものとは思えない練習いやそれは、理不尽以外の 何物でもなかった。
    土を食った腕立て2000回、尻から血が出た腹筋2000回、延々と続くラン。
    人間は1分30秒あれば死ぬことができると実感した。
    タイムトライアルであるため、一度でも手を抜けばその場で即、切られていく 入部希望者。明日は我が身かもと腹筋で血だらけになった短パンを履きかえ、 震える手でどうにか握ったハンドルの自転車の行き帰り。
    今では理不尽の科学も存在することに納得し、 「甘やかされた兵隊はなあ、全滅するんだよ。」と言った先輩の悟りとも言える 言葉に感動している。
    2週間後の入部式には涙がこぼれ、部員になれた喜びにみんな抱き合った。
    人は、感動した数だけ幸せになれるならば、ラグビーはその宝石かもしれない。
    磨けば磨くほど輝く。
    骨折しながらも、ボールを追いかける姿、突き刺さるタックル、また、4軍、5軍に いながらにして、黙々と走る姿。
    そんな4年生が試合の前夜、メンバーでないにも係わらず、部屋でスパイクを 磨き、祈りを込める。その何の打算もない姿に、男が男に泣ける何かを思う。
    男が男に泣けるとき、お互いの人間という存在の偉大さを改めて感じる、 そんな男たちに出会えたことに自分の星を感じるときがある。
    しかしその偉大なる人間は、いざというときに自分の力の半分も出せない 愚かさも備えている。
    しかも誰もがあらゆる後悔を背負っている。
    その襲い掛かってくる後悔を奮い去ったとき、人は大きくなるのだろう。
    ラグビーには試合前の涙がある。
    今までの様々な犠牲を80分間の1試合で帳消しにするために、感動に 打ち震えるのである。
    一軍に上がりたい、活躍したい、褒められたい、日本一になりたいとか あらゆる欲が、グランドに行く度に消える。
    日本一に向かうその過程の中で、自らの身を研ぎ、思いを高めていくにつれ、 それらの、あえて言えば我欲は、どうでもよくなっていく。
    失敗とは、成功の前にやめること。失敗とは、自分の計画に全力を投入しないこと。
    今思う。 自分に起こった現象は、けがも挫折も失敗も、全て必然、必要だったと。
    そして心から感謝しています。
    たくさんの人に出会え、たくさんの感動をもらい、そしてこれからたくさんの感動を 与える立場にあることに、改めて自分の星を知る。
    人はそれぞれに役割を持って生まれてきた。
    決して華やかなプレーはできません。女の子の声援も少ないし、鈍足の僕には 独走もできません。
    華麗なキック、パスは到底無理。 しかし、前に転がったボールには一番に飛び込みます。 首がいたくても、肩がいたくてもタックルします。格好悪いけど全力で走ります。 そして、己を信じ、みんなを信じます。それに心動かされ、男に泣ける人が一人でもいれば、 僕は、自分の星に心から感謝します。


    2005年7月、今は無き鹿児島ステーションホテルで、恩師と出会い、早10年。 遥か昔、この文章を恩師にお渡ししたことがありました。
    今もなお続く、恩師からの多大なる御心遣い。
    遥か彼方の、決して我々では到底たどり着かないステージにまで行かれ、 なお、その勢いは増していても、謙虚極まりないその言動に、私はいつも 人間のあるべき姿を教わります。
    先日は、多数の門下生のいる中、大変光栄な大役を私に仰せつかり、 本当に感激致しました。
    ありがとうございます。
    10年前、歯科医療に希望を見い出せず、ドロップアウトしそうな私に、 一燈の光をあてて救って下さったあの瞬間を私は生涯忘れることはないでしょう。

    「歯科医療に携わる人々が何の不安もなく、長期にわたり勤務できる歯科医療法人」 決して、派手な診療はできません。
    生まれつき頭とセンスが悪いので、技術の習得には人の5倍時間がかかります。 それでも、神様が10年前の恩師との出会いが私にとっての「自分の星」と おっしゃるならば、私は頭が悪くても、センスが悪くても努力をし続けます。
    そして、あの頃の恩師と同じ45歳になる年に、歯科医療に希望を見い出せず、 迷走している後進に、一燈の光をあてることができたなら、私は、「自分の星」を 確信し、男が男に泣ける何かを思うことでしょう。
  • 院長この一冊40 2015.02.05
    「平尾誠二 八年の闘い」  玉木正之
    book

    1995年1月17日―。
    阪神大震災の起こった日。
    あれから20年が経過しました。
    当時の日本ラグビー界は神戸製鋼ラグビー部が頂点にあり、 7年連続の日本一を達成。その翌々日に阪神大震災が起こりました。
    その朝、私は、テレビのニュースを見て、関西方面で地震があったことを知りました。 テレビに映っているのは、各地の震度が書かれた関西地区の地図。  その中で一際目立つ赤字で「震度7」と書かれていたのは神戸でした。
    当時、私は高校2年生―。
    クラスメートには関西出身の友もたくさんいました。
    その中には、被災地の中心だった神戸市東灘区に実家がある友もいました。
    即日、教壇に置かれた募金箱―。
    高校生でありながら、迷わず、硬貨ではなく紙幣を突っ込みました。

    今回、ご紹介する一冊は、神戸製鋼ラグビー部の中心的選手、いや、当時の 日本ラグビー界の顔であった、平尾誠二氏を8年にわたり取材した軌跡をまとめた、 「平尾誠二 八年の闘い」 です。

    この本には、まだ神戸製鋼が常勝軍団でない頃からのインタビューから、 V7を達成し、阪神大震災に被災した頃までのインタビューが書かれてあり、 高校3年生の時に購入して以来、何度も何度も読み返した本であります。

    この本の中に、「じゃんけんの奥義」という章があります。
    神奈川県の高校生が花園への出場がかかる大事な一戦を前に、 「試合前のじゃんけんに勝ちたいんだけど平尾さんはじゃんけんについて 何らかの考えをお持ちですか?」と著者づてに質問したというエピソードが 書かれた章です。
    どういうことか説明させて頂きますと、ラグビーには試合前のじゃんけんがあり、 勝った方が、キックオフをとるか、風上もしくは風下のフィールドをとるかを 選べることができます。
    先の高校生は、試合前のじゃんけんで勝って、前半を風上でプレーし、 リードを奪い、そのまま逃げ切りたいという戦略を立てているのですが、 この戦略を成立させるには、何が何でも試合前のじゃんけんで勝ち、 風上を選択する必要があるので、どうしたら、試合前のじゃんけんで確実に 勝つことができますかと、著者の玉木氏に頼んで平尾氏に質問したという エピソードです。
    この質問に対する、平尾氏の回答は以下の通りです。

    「おもろい男がおりまんなぁ。その男はなかなか見所がありまっせ。
    ラグビーにちょっとでも関係のあることなら、どないなことでも真面目に 考えなあきまへん。試合前のじゃんけんについても真剣に考えようとしとることは ええことでっせ。ぼくかて、じゃんけんについては、ひとつの理論をもっとりますもん。 ぼくは、試合前のじゃんけんをやるときは、グーしかだしまへなんだんですわ。 それは、グーばっかりだしてなんべんも優勝しましたよってに、ジンクスみたいな もんともいえまっけど、それだけやのうて、あいつはグーしかださん奴やと知れわたる ことのほうが大事やったんです。
    それが知れわたると、試合で相手のキャプテンは、当然パーを出して勝ちにきますわな。 じつは、それが狙いですねん。
    つまり、相手にじゃんけんを勝たして、風上と風下のどっちのフィールドをとりよるか、 それとも最初のキックオフをとりよるか、ということをぼくは知りたかったんですわ。 それを知ることができると、その日の相手がどんなふうに試合を組み立てようと しとるんか、ある程度わかりまっさかいな。
    ラグビーの試合前のじゃんけんは負けた方が得ですねん。
    じゃんけんに勝つ方法、そら難しい話でっせ。
    まあ・・・、パーをだす以外にないんとちがいますかいなあ・・・。
    というのは、試合がはじまる直前いうたら、みんな緊張して気合いが入ってまっさかいに どうしても拳をにぎる確率が高いんですわ。やっぱり緊張して興奮もしてるときに、指を二本立てるというのはけっこうむずかしいこって グーかパーという単純な動きしかでけんもんなんですな。
    せやから、じゃんけんするときに思いっきり大きな声で「じゃんけん!」とさけんで、相手を 余計に緊張させて、ほんでパーをだす。
    これが、まあ、いちばんじゃんけんに勝つ方法といえるんやおまへんかいなあ・・・」

    たかがじゃんけんだけで、これだけ話を展開できること自体がやはり尋常ではありません。 そして、実際のプレーとは、あまり関係のないじゃんけんにまで、こだわりを持っていらっしゃる。 神は細部に宿るといいますが、偉業を達成した人の、物事に対する真剣な姿勢に感銘を受けました。 そんな平尾氏を、私は、約10年前に秩父宮ラグビー場の入場門で間近に見たことが あります。スーツを着て、長身で、端正なお顔立ちで、やはり、相当なオーラでありました。 あっと思った瞬間に、タクシーに乗られて、行ってしまわれましたが、今でも、強烈に覚えて おります。

    阪神大震災の翌年、神戸製鋼の連覇は途絶えてしまいましたが、今年、震災から20年―。
    あの強すぎる神戸製鋼をふと思い出し、久々に手に取った一冊であります。


  • 院長この一冊39 2015.01.02
    「鈍足だったら、速く走るな」 中竹竜二
    book

    明けましておめでとうございます。
    毎年、正月の私の恒例行事は、ラグビー大学選手権の観戦です。 私は、高校時代から早稲田ラグビーのファンです。
    今回、早稲田大学ラグビー部は、大学選手権第2ステージにて 東海大に敗れ、正月を前に姿を消してしまいました。 何とも空虚な正月だなと思いながら、本日の準決勝:筑波大対東海大を 観戦しました。
    後半終盤まで、東海大ペースでしたが、最後の10分間に立て続けに トライを挙げた筑波大の逆転勝利となりました。 見ごたえのある一戦でした。
    さらに、この試合の解説は、私が尊敬し憧れる存在でもある、 中竹竜二氏(元早稲田ラグビー部監督)で、非常に分かりやすい解説でした。 この中竹氏は、現役時代にフィジカル的に恵まれないながらも、卓越した 試合展開を読む能力で主将を務め、卒業後は監督も務め、早稲田を2回日本一に 導いたラグビー界では有名な方です。

    今回ご紹介する一冊は、この方の著書「鈍足だったら、速く走るな」です。
    中竹氏は、足が速くなく、一度もレギュラーになったことがないにもかかわらず、 同期の強い推薦で主将になった方です。
    著書のタイトルにあるように、速く走れないなら、速く走ることは諦めて、 他の部分で自分を活かす、つまり、欠点を受け入れて自分に合うスタイル (中竹氏でいえば、速く走るのはやめて、試合の流れを読んでそのポイントに 誰よりも早く先回りしてしまうスタイル)を確立することの重要性が内容の核に なっております。
    欠点を克服するのではなく、得意分野に磨きをかけて、自分のスタイルを創る。 通常、学校教育では苦手を克服するように指導されますが、私は、学問も 高校レベルになると、努力ではどうにもならない領域があるような気が してなりません。社会人になるとなおのこと、どうにもならない領域ばかりです。 私見ではありますが、義務教育を終え、高校に入学する方に読んでもらいたい 一冊です。


  • 院長この一冊38 2014/12/23
    「軍師官兵衛」
    book

    今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が先日最終回を迎えました。
    私的には、2010年放送の「龍馬伝」から、4年ぶりに全話を観た大河ドラマでした。 視聴率的には可もなく不可もなくといったところだったようですが、1年間楽しませて 頂きました。
    黒田官兵衛といえば、備中高松城の水攻めと中国大返しが有名です。
    私は縁あって1年ほど岡山県に住んでいたので、この備中高松城の跡地を 見に行ったことがあります。
     ここがあの水攻めの高松城跡かと少しばかり 感動しました。
    岡山県には備前福岡と呼ばれる場所があります。
    そこが黒田家ゆかりの地であることから、黒田藩が治めた場所が 福岡と名付けられ、現在の福岡県になっていると、このドラマで知りました。

    小学生の時に、吹奏楽で黒田節を演奏したことがありました。
    当時は、まったく歴史的背景も知らないで演奏しておりましたが、現在は、 あの黒田節にはこんなエピソード(酒の飲み比べで勝って槍をもらった)が あったのかと少し感慨深く当時を思い出してしまいます。また、以前、住んでいた北九州・折尾駅前の堀川運河の風景がレトロで 好きだったのですが、遠賀川から洞海湾へ通じるこの運河を建設したのが 官兵衛の息子・黒田長政だったのは当時から知っておりましたので、 今年の大河を見る理由づけとなりました。

    さて、このドラマで一番心に残ったシーンは、第42話にあります。 秀吉の命による朝鮮出兵で兵の士気がみるみる下がっていく現状に対して、 官兵衛が発した言葉、
    「この戦には大義がない」です。
    秀吉の私欲を満たすための無謀な朝鮮出兵に対して出た言葉ですが、 物事は「大義」というものがないと成さないんだということが、 ドラマからメッセージとして強く伝わってきた気がします。 私のこれまでを振り返っても、「大義」のないことは成されずじまいだった ように思います。

  • 私の歯科医師としての「大義」、これには想いがありすぎて、 語ると長くなりますので、割愛しますが、これからも自分の「大義」を 心に問うて日々診療に励んで参ります。


  • 院長この一冊37 2014/11/18
    「海峡」 主演:高倉健 吉永小百合
    book

    本日、昼、俳優・高倉健さんの訃報を知りました。
    あまりのショックに、しばし放心状態になりました。
    高倉健さんにつきましては、「院長この一冊」のコーナーでも、 何回か書かせて頂いております。
    私にとって、人生の師は二人おりまして、お一人は北九州の恩師、 そしてもうお一人は高倉健さんです。
    もちろん、高倉健さんにお会いしたことはありませんが、 その出演映画や著書を拝見していると、背筋が伸びる思いがするのです。
    高倉健さんの逸話に、撮影中は絶対にイスに座らないというお話があります。 それを見習い、私は開院以来、診療室で、イスに座らないように心がけてきました。 もちろん、歯の治療をするときは診療チェアーに座りますが、それ以外の、 待機時間は座らないようにしているつもりです。

    健さんの作品は、全作品ではありませんが、代表作はほとんど見ております。「網走番外地」 「昭和残侠伝」 といった任侠映画はもちろん、 「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」「鉄道員」といった任侠映画以降の 作品まで。そしてその作品一つ一つで、何か大きな教えを頂いた気がしています。 大学時代に一人で見に行った「鉄道員」では、恥ずかしながら涙を流し、映画館を 後にしました。
    北九州市に住まいを探した時は、健さんの母校・東筑高校の近くに物件を決めた ことが嬉しくて嬉しくて・・・。 「ホタル」の撮影では、鹿児島大学医学部での撮影もあり、医学部の先輩が 健さんと構内で偶然出くわしたことを教えてくれましたが、それがまた羨ましくて 羨ましくて・・・。

    ああ、健さん、ついにこの日が来てしまったのですね。
    昭和6年生まれ。
    患者様のカルテで生年月日を確認する際、昭和6年生まれの方をお見かけすると、 健さんと同期の方だと思い、より丁重になってしまう自分がありました。 数年前の、NHKプロフェッショナルでは、元気なお姿を拝見しました。 81歳とは思えない体の柔らかさと、姿勢の正しさ・・・。 まだまだ、私どもに多くを示唆して下さる作品を届けてくださるのではないかと 勝手に期待していた自分。 若いころ、同業の俳優仲間が、夜な夜な遊びに出る中で、健さんはひたすら 筋力トレーニングに励み、その肉体美で「死んでもらうぜ」の決め台詞とともに 刺青を露出させ、ドスを片手に斬りかかる姿に、高度経済成長期の日本男児は 熱狂したと聞きます。 酒も煙草も飲まず、コーヒーを好むというところも、粋に感じ、見習っております。

    心に残る映画のワンシーンの数々。
    「昭和残侠伝」で、拳銃で相手に腕を撃たれた時には、流れる血を全く顧みず、 「それだけかい。どうせ狙うならここ狙えよ。」と左胸を叩く健さん・・・。 本当にかっこよすぎです。 たくさんの思い出に残るシーンの中でも、一際、私の心に残っているのは 「海峡」のワンシーンです。
    青函トンネルを掘る男たちを撮った作品で、青森側からと函館側からと両方から 掘り進めたトンネルが、開通した瞬間の、健さんのガッツポーズ。 そして、頬を流れる一筋の涙・・・。 あれは本当に鳥肌ものでした。
    台本にはなく、リハーサルでもなかった、ガッツポーズが、本番で、 体が勝手に動いて出たものだったと聞いております。 そんな男らしさを全面に出す一方で、著書「あなたに褒められたくて」では 少し繊細で知性的な一面を感じさせて下さりました。 「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」 なんと潔い言葉でしょうか。

    健さん、ご冥福をお祈り致します。 本当にありがとうございました。


  • 院長この一冊36 2014/08/18
    「兎の眼」 灰谷健次郎
    book

    今回、ご紹介しますのは、灰谷健次郎さんの「兎の眼」です。
    この本とのエピソードを思い起こしますと、中学3年の頃に遡ります。 中学3年に上がる春休み、私は、高校受験に備えて、塾に入りました。 その塾の国語の授業は、少し変わっており、問題を解くというよりは、 あるテーマを先生が提示し、それについて、各自、考えを発表する といったことがよく行われていました。
    ある日のテーマは「好きな作家について」でした。そこで、塾のクラスメートが、灰谷健次郎氏について発表したのです。
    恥ずかしながら、私は、当時、灰谷健次郎氏を知らず、彼の熱い発表に ただただ聞き入るばかりでした。「兎の眼」は、灰谷健次郎氏の代表作で、その彼が、とても感動したというので 私も書店で購入しました。
    あれから20年以上が経ち、こうして書評を寄せることになるとは夢にも思いませんでしたが、 非常に考えさせられる作品です。要は、教育について書かれた本です。
    学校で、教師たちから問題児扱いされている生徒に、少しずつ歩み寄り、生徒が持っている 大きな才能に気づき、それを花開かせる、新人女性教師・小谷先生の試行錯誤と苦悩を書いた作品です。私の学校時代を振り返りますと、やはり、成績の良しあしが先生方の大きな判断基準の一つ だったように思います。そして我々生徒たちも、良い成績を取ろうと頑張る。

    しかし、私が実際に、社会人生活をスタートさせると、いわゆる、学校の成績云々では どうにもならないことが多々起こり、それらは、机の上の勉強による知識ではない、もっと 違った要素の部分(たとえば勇気・執念・礼儀正しさ等)で解決されることがほとんどだということを 感じるようになりました。
    そして、思うのです。
    ある教科が極端にできなかったことで、当時、何故ああも怒られ続ける必要があったのかと。その教科はできないにしても、他に、何かしらの才能を持っているかもしれないから、 そちらで頑張れるように導いてあげようと思わなかったのかと。あなたは、そこまで人を怒れるほど、完璧な人間だったのですかと。

    生徒というものは教師に対して非常に非力な、弱い立場のものです。今、当時の先生方と同じ年代になり、果たして、彼らは、自分をあれほど 卑屈にさせてしまうほどのすさまじい存在であったのか、 素晴らしい人間性の持ち主であったのか、もし教師と生徒という関係ではなく、 同世代だったら私をあそこまで罵れたのか、疑問に思うことが多々あるのです。

    今、私は、分不相応にも院長というものをさせて頂いております。時には、後進に指導をすることもあります。その際、たとえ、こちらが求める水準になくても、全否定しないように心がけます。それは、あくまで歯科医療という限られた土俵上での話だからです。他のことでは、私は多分に皆様に劣っているだろうことを否めないからです。
    「兎の眼」の小谷先生ほど、親身にはなれないかもしれませんが、人をある一面だけで 判断せずに、全人格を持って接する。

    一つの心がけるべき姿として、今後も意識し続けていこうと思っております。


  • 院長この一冊35 2014.07.07
    「海峡の光」   辻 仁成


    今回、ご紹介致しますのは、辻仁成さんの芥川賞受賞作「海峡の光」です。
    筆者は、エコーズというバンドでミュージシャンとしても有名ですが、天は二物を与えるのか、 小説も非常に美しい文体で流れていきます。
    作中で使われる言葉一つ一つが厳選されているからこその美しさなのでしょう。
    そして物語の舞台となっている函館が綺麗な街だからこその美しさなのでしょう。
    しかし、内容に関しましては、正直、暗いです。
    主人公とその小学校時代のクラスメートが刑務所の看守と受刑者という関係で 偶然の再会をします。 主人公は昔、受刑者である元クラスメートに陰湿な苛めを受けた過去があります。
    今もなお、その心の傷を反芻しながら、真面目に服役する元クラスメートを 観察して、毎日を過ごす主人公。
    「海峡の光」という清々しい題名からは、全く正反対の、心の闇を書いた作品。
    結末も「えっ、これで終わり?」というなんとも吹っ切れないもので、思わず 次のページを何度かめくっては戻して、ようやく終わりなんだと実感する感じでした。
    今年の春に舞台化された作品であったり、先日、中山美穂さんが女性週刊誌を 賑わせていたりしたことから、手に取りましたが、もう少し明るいお話を読みたかった というのが率直な感想です。
    表紙のイラストは、おそらく人間の二面性を表現したものなのでしょうが、この時点で 明るいお話ではないことを察知すべきでした。
    しかし、文体の美しさは秀逸で、現在の自分とそう変わらない年齢時に、このような 作品を書き上げた辻氏の溢れる才能に敬意を表さざるを得ませんでした。


  • 院長この一冊34 2014.06.19
    「松下幸之助 経営の神様とよばれた男」 北 康利


    今回、ご紹介しますのは、今年で没後25年・生誕120年となった 松下幸之助さんを書いた本です。
    幼少期からの苦難の連続を乗り越え、一代で世界有数の企業を 築き上げた、松下幸之助さんの生涯が非常に分かりやすく書かれて あり、一気にのめり込んでしまいました。 
    以前、私には松下幸之助さんの「道をひらく」という著書をひたすら読んでいた 時期がありましたが、第三者が書いたこの本にも非常に大きな示唆を 頂いた気がします。
    心の琴線に触れる箇所は多々ありました。
    中でも、一番印象的だったのは、高橋荒太郎という、後々、松下氏の右腕となる 社員の言葉です。

    「人間、誰でも人生に開眼する時があるが、松下に入ってみてすぐ私はそれを  感じた。いっぺんに自分が救われる思いがした。それまで悩み、試行錯誤を  繰り返したことが、ここではすっかり用意されていた。  ああ、自分はなんと幸せ者なのか、と。  あの時の感激は忘れられない」

     私にもこれに共感できるようなことがありました。
     私が人生に開眼したのは、2006年のことです。
     学生時代の6年間は、自分の歯科医療への適性に不安を感じ、果たしてこの道で  自分は食っていけるのかと悩み続けた毎日だったように思います。
     そんなどうしようもない私でしたが、2006年、恩師のもとで一般診療に携わらせて頂き、  早々に道が開けた感じがしたのです。

     「いっぺんに自分が救われる思いがした。」

     まさしくその一言に尽きます。
     そして、おこがましくも私は思うのです。
     歯科医療に迷走している若人がいれば、今度は、私が救って差し上げたい・・・と。

     松下幸之助さんは、こう語っていらっしゃいます。
     「サラリーマン自身の人生観と勤めた会社の企業観、そして経営者の事業観が   一致した時、その人は最も幸せな人やと思うよ」 と。
    2006年からの5年間は、私にとって宝物のような時間でした。最も幸せでした。
     あれから数年経った今でも、頻繁に当時のことを思い起こします。
     何故、こんなにも熱い思いに浸るのか、自分でうまく説明できなかったのですが、  松下氏のこの言葉を読んで、はっとさせられました。
     一致していたからなんだ・・・と。

     歯科医療を志しながら、毎日を必死に生きつつも、自分の将来に自信の持てない若人に  出会うことがあれば、私はこう助言するでしょう。
     「迷わず、北九州に行きなさい」と。

       私を救って下さった恩師にその10分の1でいいから近づきたい。
     私は、日々、自分にそう言い聞かせて生きているのです。


  • 院長この一冊33 2014.05.25
    「菜根譚」  洪自誠


    このコーナーも33回目を迎えました。
    私にとって、33という数字は、特別な数字です。
    このコーナーの33冊目という、私の中の節目に、何を選ぼうか、 長い間悩んでいたのですが、選んだのは、 中国古典の「菜根譚(さいこんたん)」です。

    400年程前、中国の明という時代に書かれた古典を、あえて33冊目で 取り上げたのは、恩師の先生に勧められた本だからです。

    「菜根譚」という書名は、
    「人よく菜根を咬みえば、すなわち百事なすべし」という言葉に由来するそうです。
    わかりやすく言い換えますと、
    「堅い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、
    人は多くのことを成し遂げることができる」 ということだそうです。
    4年前、同僚Drの結婚式のため、初めて沖縄に行き、夜中、式場から帰る バスの車内で恩師から「菜根譚」という古典の名前を聞かされました。 早速、書店で買い求め、読み耽りました。
    非常に分厚い本ですが、生きる上での人としての原理原則が書かれていました。
    特徴としては、儒教・仏教・道教という三大思想をまとめた視点で書かれている ことでしょうか。
    「自らを厳しく律して学ぶように」と儒教的なことが書かれている一方で、 「自由にのんびりと生きなさい」と道教的な教えが書かれていたりするのです。
    つまり、一見、反対なことが同一書物内に書かれているのです。
    このことには、「人は生きている中で、様々な状況に直面するわけだから、 その時、その時に応じた視点で的確な教えを説けるように」と意図して 書いた、洪自誠氏の配慮が伺えます。

    今回、久しぶりに読み返してみて、私にとって改めて響いたことは、
    「足るを知りなさい」ということでしょうか。

    私事ながら、先日、日頃の暴飲暴食がたたって、大きく体調を崩しました。 そのような中で、本書を久々に手に取り、「足るを知ること」を軽んじていた 自分を反省しました。
    自分の分をわきまえ、控えめに生きて参ります。


  • 院長この一冊32 2014.04.12
    「萌黄色のスナップ」  安全地帯


    4月になってもなぜか寒い日々が続いておりましたが、ようやく 暖かくなってきた感があります。
    そんな冬から春になる時、なぜか無性に聴きたくなる曲があります。

    「萌黄色のスナップ」

    この曲は、安全地帯のデビュー曲です。
    私は、この曲を聴いたとき、これが本当にデビュー曲なの?と正直、 疑ってしまいました。
    あまりに上手過ぎるのです・・・。
    恥ずかしながら、萌黄と書いて「もえぎ」と読むことをこの曲で知りました。 萌黄色と言われても、はっきりとした色のイメージがつかずに調べたりもしました。
    辞書的には、「鮮やかな黄緑色系統の色で、春に萌え出る草の芽をあらわす色」 だそうです。
    実際の色はこのような感じです。


    スナップとは、「スナップ写真」のことですが、一体どんな写真のことを言うのか これまたイメージがつかなかったので、調べたのですが、 「下準備その他特にせず、日常のできごとあるいは出会った光景を一瞬の下に 撮影する写真」 のことだそうです。
    曲の方は、デビューの時点でこれなら、この後はどうなっちゃうの?というしかない クオリティの高さ。
    そして、「萌黄色のスナップ」という何とも趣深いタイトルを20代前半でネーミングした 玉置浩二さんのセンス。私生活では少々「?」な言動も拝見しますが、このネーミングに 私は、玉置さんの知性を感じずにはいられないのです。
    坂本龍一さんのソロデビュー曲「千のナイフ」といい、この「萌黄色のスナップ」といい、 天才たちは、デビュー曲の時点で既に超越していることがよく分かりました。

    デビュー ・・・  「公の場に新人が初めて登場すること」

    私が歯科医療の表舞台に初めて立たせて頂いたのは、2004年の4月です。
    医療の世界にデビューという言葉が適切かどうかは分かりませんが、 この2014年4月で、歯科医師としてデビュー10周年となりました。
    たった10年ですが、天才たちと違い、全くこれといった特徴もなく、 平凡なスタートを切りながら、これまで無事、歯科医療を続けさせて頂けたのは、 多くの恩師・諸先輩方・同僚の方々のサポートがあったからに他ありません。
    本当にありがとうございました。
    まだまだ人間としても医療人としても未熟でありますが、 昨日よりも今日よりも 少しは進歩がみられるよう日々精進して参ります。





  • 院長この一冊31 2014.2.22
    「点と線」  松本清張


    今回ご紹介致しますのは、松本清張氏の代表作「点と線」です。
    いわゆる推理小説に分類され、東京・福岡・北海道と、舞台が移り変わっていくのと 事件の真相に迫るまでの過程が読みやすく、どんどん引き込まれていきます。
    刊行されたのは1957年で、読んでいると、戦後の動乱が少し落ち着きはじめた 当時の日本社会をイメージさせてくれます。

    話は、汚職事件の摘発が進行中のある省庁の課長補佐と、料理屋の女中の 情死体が福岡の香椎海岸で発見されるところから始まります。
    二人の死は情死との見解で事件は処理されそうになりますが、遺留品の一部に 疑問を抱いた地元警察のベテラン刑事・鳥飼は疑問を抱き、独自に捜査を行います。 警視庁の警部補・三原も二人の死と汚職事件との関連を疑い、捜査が進みます。
    東京駅の13番線プラットフォームで、向かいの15番線プラットフォームに情死した 二人が夜行特急列車「あさかぜ」に乗り込むところを見たという目撃者の証言・・・。
    この証言を時刻表をもとにシミュレーションすると、13番線から15番線に停まっている 「あさかぜ」を見通せるのは17時57分から18時01分までの4分間しかないことが判明。 これがこの小説を有名にした、時刻表を用いたトリック、東京駅における 「空白の4分間」で、このような設定を考えついた松本清張氏はやっぱりすごいなと 思いました。

    私も読みながら、三原刑事になった気分で犯人のアリバイを崩そうとしたのですが、 北海道へ渡る青函連絡船の乗船記録のトリックが分からずにアリバイが 全く崩せずに、頭を抱えたのを思い出します。
    (答えは、この乗船記録の用紙は余分に持ち帰り可能で、あらかじめ記入して おいたものを第三者に提出させていたというトリック) そして、飛行機・・・。
    前日の晩に福岡の香椎にいた男が翌日に北海道にいるのを どう証明するのか・・・。

    現代っ子の私の感覚では、福岡から北海道まで、飛行機ならひとっ飛びで 移動可能じゃないかと、すぐに感づきましたが、刊行当時の昭和30年代は、 福岡から北海道でさえも主たる移動手段は鉄道だったようで、作品中の 三原刑事が、飛行機の存在に気づくのがかなり後になってからということに、 時代背景の違いを感じました。
    (この部分であまりに三原刑事が鈍すぎると本作品を酷評する方もいらっしゃいます) そして、犯人は追い詰められ命を落とすのですが、汚職に絡んだお役人方は 証拠不十分でそのまま出世を遂げてしまうという、結末。
    この何とも言えない結末の無常感が、松本清張氏を巨匠たらしめているのかも しれません。
    この「点と線」は、数年前に、ビートたけしさん主演でドラマ化されましたが、 こちらも大変見ごたえがありました。
    北九州時代に、松本清張記念館に行かずじまいだったことが悔やまれますが、 今後、機会があれば、訪ねてみたいものです。


      点と線DVD



  • 院長この一冊30 2014.2.1
    「医龍」


    現在、放映中のテレビドラマ「医龍4」
    今回、ご紹介致しますのは、原作漫画「医龍」です。

    私がなぜこの作品が好きなのかといいますと、麻酔医の働きにも重点を おいた作品だからです。
    荒瀬門次という天才麻酔医が、主人公である、心臓外科医・朝田龍太郎の力を 100%引き出すエキサイティングな全身管理を行うところにシビれます。
    ドラマでは、阿部サダヲさんが荒瀬門次役をしていらっしゃいますが、原作同様、 強烈な存在感を放っています。
    なぜ、麻酔医に感情移入してしまうのかと言いますと、私は、歯科麻酔科という 講座から歯科医師としてのキャリアをスタートさせて頂いたからです。
    口腔外科領域の手術の際に、全身麻酔を担当する仕事がメインなのですが、 教授はじめ先輩ドクターの皆様が、卒後まもない学生気分が抜けない私を、 歯科医師として、社会人として、厳しく教育して下さいました。
    現在の、私の歯科医療に対する姿勢・スタンスは、この頃の影響がベースに なっているといっても過言ではありません。

    私事ではありますが、先月26日は、歯科麻酔学会登録医試験を受ける機会を頂き、 無事、登録医として、承認を受けました。
    これまで、指導して下さった椙山教授、そして、歯科麻酔科の諸先輩方に、 深く御礼申し上げます。
    1999年に、一般教養科目「口と顔の科学」を受講してから御縁を頂いた、 歯科麻酔学ですが、あれから15年もの時を経て、一つの証を残せたことに 感謝の気持ちでいっぱいです。

    現在、医療の世界では、団塊の世代が後期高齢者になるといわれる2025年問題が 叫ばれて久しいですが、歯科麻酔科で学んだことを生かして、安心・安全な歯科治療を 心がけて参ります。



      テレビドラマ医龍DVD



  • 院長この一冊29 2013.12.22
    「音楽は自由にする」   坂本龍一


    12月。 クリスマスを前に、今回、ご紹介するのは「音楽は自由にする」。
    映画「戦場のメリークリスマス」の主題歌、いわゆる「戦メリ」の作者、 坂本龍一さんの自伝です。

    「戦メリ」の主題歌は、一度聴いたら、忘れることのない美しいメロディです。
    正式名称は、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」。
    今年は、戦メリの監督、大島渚さんがお亡くなりになりました。
    この坂本氏の自伝では、大島さんとの出会い、そして映画音楽という仕事に かかわっていく過程についても書かれています。

    坂本龍一さんと聞いて、戦メリの他に私が思いつくことは、 「YMO」・「映画ラストエンペラーでのアカデミー賞受賞」といったところでしょうか。 この本では、そのあたりのことも詳しく書かれています。

    特に、映画ラストエンペラーの音楽をベルトルッチ監督から突然依頼され、 納期は2週間という、苛酷なスケジュールをこなす場面。

    非常にエキサイティングでした。

    他に、印象的だったのは「同じ言葉を持つ人たち」という章です。
    ここでは、音楽仲間である、山下達郎さん、細野晴臣さんとの出会いが書かれています。
    お二人の音楽があまりに素晴らしいので、芸大出身の坂本氏は自分と同じように ドビュッシーやラヴェルやストラヴィンスキーのような音楽をすべて分かった上で 音楽を作っているのだろうと思って、尋ねてみると全くそうではなく、耳と記憶による 独学での習得だった。

    坂本氏が幼少時から系統立てて学んできた音楽言語と、お二人が独学で体得して きた音楽言語がほとんど同じだったという驚き。
    この事実が、坂本氏を「ポップミュージックというのは、クラシックや現代音楽に比べ レベルが低いわけではない。むしろ、かなりレベルが高い。そして、多くの聴衆がいて コミュニケーションをしながら作っていける分、ポップミュージックは相当おもしろい 音楽なんだと確信を持って感じるようになりました。」

    と考えさせるようになります。
    天才方の道程、それぞれは違うものの、行きつく先はほとんど同じであったという 事実は大変興味深いものでした。

    私が坂本氏のソロデビュー曲、「千のナイフ」を聞いたのは10年前。
    作られて20年以上経過していましたが、あまりに新し過ぎてびっくりしました。
    この「千のナイフ」は、一言でいえば電子音楽なのですが、非常に繊細な作りです。
    今でこそ、パソコンは、日常的な機械ですが、1970年代は全くそうではなかったわけで そのような時代に、コンピューターを駆使してこのような曲を作ってしまう。 やっぱり天才は違うんだなと思わざるを得ませんでした。

    坂本氏のこれまでの歩みのみならず高度経済成長期の日本の若者文化が知れて 印象的な一冊でした。


      戦場のメリークリスマス       千のナイフ



  • 院長この一冊28 2013.12.01
    「ノーサイド」   松任谷由実


    12月の第1日曜日は大学ラグビー早明戦の日です。
    昨年も、早明戦の日に、このコーナーにて書評のアップを致しましたが、あれから 早一年。
    年々、月日の流れを早く感じます。
    今回、ご紹介致しますのは、松任谷由実さんの「ノーサイド」です。
    ノーサイドとは、ラグビーの試合終了を意味する言葉で、試合後は、対戦相手に お互いが敬意を払い、敵味方なく交わろうという意味合いを持った言葉です。

    本日の早明戦、これまで40年近く、試合の舞台となった国立競技場が、 東京オリンピックに向けて改修工事に入ることになったため、「最後の国立」と なりました。
    試合後には、なんと松任谷由実さんがグラウンドに現れ、「ノーサイド」を 歌われました。
    試合内容は、明治のボール支配率が勝ったものの、少ないチャンスをものにした 早稲田が15-3で勝利しました。また、私の高校時代の同期がアシスタントレフリーで 出ており、本当にすごいなと思いました。

    私の高校時代は、明治が全盛期で、「重戦車」と言われた明治フォワードが、 体格に劣る早稲田を蹴散らすという構図が何年も続いていました。 当時、それを苦々しく思っていたことから、今でも私は早稲田ファンです。 昨年は、ロスタイムで逆転という幕切れでしたが、今年は勝利で、自分のことの ように嬉しく感じました。
    あとは、今月末から始まる大学選手権での優勝を願うばかりです。

    この「ノーサイド」という曲は、1980年代、大学ラグビーが人気絶頂だった頃に 書かれた曲です。私が中学生だった頃、明石家さんまさんと浅野ゆう子さんの 共演で、この曲をモチーフに単発のドラマが放映されたことがありますが、これが 非常にいい作品でした。VHSビデオに録って、何度も見たのを思い出します。

    最後に、私が高校3年時に涙した1995年の早明戦。
    「ああ、今年も明治の勝ちか」と思っていたロスタイム。
    明治に自陣深く攻め込まれ、万事休すの早稲田が、こぼれ球を拾い、 カウンター攻撃をしかけ、最後は山本肇選手の90m独走トライによる大逆転を 成し遂げたシーンをアップして、明日の診療に備えたいと思います。

    「1995年早明戦ロスタイム」
    http://www.youtube.com/watch?v=DBicnu0mpwM




  • 院長この一冊27 2013.11.15
    「私塾・坂本竜馬」 武田鉄矢


    11月15日は、坂本竜馬先生の誕生日であり、命日でもあります。
    毎年、11月になると、必ずどこかのテレビ局が、竜馬先生についての特別番組を 組んだりします。
    大学を卒業し、医局に入局するまでの数週間の休み。
    私は、弟と坂本竜馬先生の墓を参ったことがあります。
    京都の東山にあるお墓は、小高い丘を登ったところにあるのですが、 その丘の入口に建つ銅像には、「坂本龍馬先生」と書かれていました。
    「先生」と書かれていたことに、多少の違和感を感じましたが、幕末の志士にとって 坂本龍馬は「先生」と呼ぶ存在であったのかと少し見方を改めました。
    それ以来、私も「先生」と呼んでおります。

    今回、ご紹介するのは、武田鉄矢さんの著書「私塾・坂本竜馬」です。
    日本国民に、坂本竜馬先生のことを広く認知させたのは、司馬遼太郎氏と 武田鉄矢さんに違いありません。
    武田さんに至っては、自分で結成したバンド名に「海援隊」と名付けています。
    本当に、竜馬先生を敬愛してやまなかったのだと思いますが、他のバンドメンバーは 反対しなかったのだろうかと心配してしまいます。

    この本では、18歳の武田さんが、駅前の書店で、司馬遼太郎氏の著書「竜馬がゆく」に 出会うところから始まります。 なんと、自分のお金を払って買い求めた最初の本が 「竜馬がゆく」だったそうです。
    そんな武田氏が、司馬遼太郎氏の著書「竜馬がゆく」を武田流に解釈していくのが、 この本の流れなのですが、幕末に大きくかかわった、薩摩、つまり鹿児島についての エピソードも所々に見ることができます。

    なかでも、吉俣良さんという音楽家(鹿児島県出身)とのエピソードが印象的でした。 武田さんのツアーに同行し、岩手・盛岡でのコンサートの打ち上げ。
    酒場で偶然、隣のテーブルになった女性たちとの討論。
    理由は、青森出身なのに、故郷を恥ずかしく思うために、仙台出身と言っている 女性に「なぜ、故郷を隠すのか」と激高する吉俣氏。
    「オレは解らん、なぜ、故郷を隠すの。オレは鹿児島の生まれよ。一番の都会は 九州じゃ福岡。でもネ、オレは絶対に福岡とは言わん。鹿児島は鹿児島よ。 恥ずかしいと思ったことはないネ。」 と。
    萎縮する女性を気の毒に思った武田氏が仲裁に入ります。
    「鹿児島が輩出した西郷や大久保が近代を創ったワケで、君にはその矜持がある。
    君は無意識かもしれんが、カゴシマに生まれた者だけに流れ込んだプライドが、 故郷をただの田舎にしていないンだぞ。 思わず故郷を隠してしまうウソは他県の 人にあることで、カゴシマにないと言えるのは、薩摩の歴史があればこそのこと。」

    武田氏の仲裁、私は「ごもっとも」と思いました。
    県外にて、技術習得に励んだ6年間、「出身はどちら?」と聞かれ、間髪入れずに 「カゴシマです」と言えた自分は、薩摩の歴史の後ろ盾があったからに違いありません。

    「出身大学は?」と聞かれ、「鹿児島大学です。」と誇りを持っていえるのは、 京セラの稲盛和夫氏と私の恩師を輩出した大学であり、旧制第七高等学校の 流れを汲んだ歴史があるからに違いありません。

    先人たちの頑張りに、今、自分は生かして頂いている。
    多くの偉人たちを輩出した鹿児島にご縁を頂いたことに感謝し、日々、歯科診療に 励んで参ります。




  • 院長この一冊26 2013.11.04
    「運をつかむ技術」  澤田秀雄


    前回の、「坂の上の雲」に続きまして、今回ご紹介しますのは「運をつかむ技術」です。
    何やら、このコーナー自体があやしげな方向に向かっておりますが、楽天の日本一に 免じてご容赦下さい。

    何も、この題名に惹かれて購入したわけではありません。
    著者の澤田氏は、旅行会社HISの創業者で、近年では、あのハウステンボスを 経営再建した方です。
    長崎のハウステンボスは開園以来18年間連続で赤字を出し続けており、 経営難にあえいでいるというのは、以前からよく見聞きしておりました。
    そして、ついに、2009年には親会社が撤退を発表し、閉園を余儀なくされるところまで 迫っていました。
    同じ九州にいる者として、大丈夫なのだろうかと少なからず心配をしていた折に、 経営再建を担うと発表されたのがHISの澤田氏だったのです。
    何かをやって下さるに違いないと期待を抱きつつ、私は様子を見守っていました。 そして翌2010年には、初の黒字を出したのです。
    それから、3年後に出されたのがこの本です。
    私は、長い間、ハウステンボスの復活について、どのようなことがなされていたのか 不思議に思っていました。
    なにしろ、開園以来18年間、一度も黒字化したことのないテーマパークが、トップの 交代後、約半年で黒字を出したのですから。
    一体、どのようなことが行われたのだろうと長い間、疑問に思っていたため、 本書が書店の新刊スペースにあるのを見つけた瞬間、手に取り、購入し、 一気に読破しました。
    結論は、ハウステンボスの抱える負債の8割を、金融機関に交渉し放棄してもらった ことが大きいようでした。なぁんだと一瞬思いましたが、じゃあ、今まで、なぜ誰も それに取り組まなかったのかということになります。
    結論を聞けば、簡単そうに思えることでも、いざ、お前がやってみろよと言われると なかなかできるものではない気がします。
    勇気を持って、一歩足を踏み入れる勇気がいかに尊いものなのか、見る側から やる側になることがいかに大変なことなのか、考えさせられます。

    さて、この奇妙な題名とハウステンボスの再建物語にどのような関係があるかと いえば、澤田氏の豊富なビジネス経験から、「運」 「波動」 「気」 というものは やはりかなり重要であるという考えに帰結します。
    本書のほとんどは、ハウステンボス再建の一部始終なのですが、後半4分の1くらいが 上記のような、現代科学では説明できない内容についての記述になってます。

    本書の中で「運の悪い人実験」というページがあります。
    澤田氏が、実験的に、運が悪そうな人、悪い気が出ている人ばかりを自分の 周りに配置した結果、澤田氏の運はかなり落ち、ショッキングな事件まで 起こってしまったというエピソードが語られている頁なのですが、大変興味深く 読ませて頂きました。

    今、現在、自分が置かれている状況に心から感謝し、日々、努力を重ねて 参ります。



  • 院長この一冊25 2013.10.31
    「坂の上の雲」 司馬遼太郎


    今回、ご紹介するのは、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」です。

    先日、ご紹介しました「八甲田山」とともに、日露戦争にちなんだお話です。

    といいますか、この「坂の上の雲」は、日露戦争そのもののお話です。

    高校時代、日本史を選択していたわけではありませんので、歴史に詳しいわけでは ありませんが、私が思うに、縄文時代から現代に至るまで、日本は3回、崖っぷちに 立たされたのではないかと考えています。

    1回目は、元寇。
    蒙古の襲来で万事休すかと思いきや、神風が吹いて難を逃れました。

    2回目は、日露戦争。
    当時、世界最高峰の国力を持つ、大国ロシアと開戦した日本。
    世界各国は、日本の敗北しか考えていませんでした。
    しかし、それに勝利した日本。その勝利までの道程について書かれたのが、 今回ご紹介します「坂の上の雲」です。

    そして3回目は、太平洋戦争。
    戦後、何もない状況から、高度経済成長を興し、奇跡の復興を遂げました。

    つまり、日本という国は、世界の誰が見ても、「もうだめだろう、かわいそうに」という 状況から少なくとも3回、奇跡をおこしてきたのです。

    今回ご紹介します、「坂の上の雲」について、真面目に書かれた書評は 山ほどありますので、ここでは私の身勝手な解釈を書かせて頂きます。

    「運だった」

    戦後、日露戦争の勝利について問われた際、当事者の多くが口にした 言葉だそうです。

    また、我が薩摩の偉人、東郷平八郎氏が海軍総司令官に選ばれたのも
    「東郷は運のいい男ですから」
    という周囲の意見からだったそうです。

    全8巻にも及ぶ大作、そして日本の存亡の危機であった日露戦争を 「運」という言葉で片付けてしまってよいものか、悩むところではありますが、 やはり「運」なのかもしれません。

    「先生、運というものはね、非常に大切なものなんですよ。」

    7年前、恩師の先生から頂いた言葉をふと思い出します。

    「運」を高めるために、日々善行に努めます。




  • 院長この一冊24 2013.10.26
    「八甲田山」


    昨日、政府が文化勲章・文化功労章を発表し、高倉健さんをはじめ、 20名の方が受章となりました。

    おめでとうございます。

    今回、ご紹介するのは映画「八甲田山」

    高倉健さんが3年間をこの映画に費やし、その間、一切、他の仕事を しなかったという作品であるがためか、一度見たら、一生忘れえぬ 何かがあります。

    私にとって、邦画の中では、最高傑作だと思っています。

    今でこそCGなどの技術がありますが、1977年当時はもちろん全てが実写。
    映画の舞台となっている、青森県の八甲田山の冬の激しさがビシビシ伝わってきます。

    こんな吹雪の中で、これは紛れもなく実際に撮影したんだよなと、驚くばかりの 映像が続きます。

    話の概要は、日露戦争開戦の機運が高まる中、ロシア内陸での戦闘を想定して、 日本軍隊が予行演習を行うことになります。

    場所は、厳冬の青森県、八甲田山。

    演習を行う軍隊は、二つ。
    一つは、高倉健さん演じる徳島大尉率いる軍隊。
    もう一つは、北大路欣也さん演じる神田大尉率いる軍隊。

    どちらも、強い吹雪にさらされ、想定以上の熾烈な演習になります。

    少数精鋭で順調に進軍を続ける徳島(高倉)隊に比べ、準備不足の否めない 神田(北大路)隊は、指揮系統が乱れ、ついには遭難してしまいます。

    結果、徳島(高倉)隊が全員生還したのに対し、神田(北大路)隊は、 210名中199名が死亡するという、大惨事になります。

    事前準備の大切さを説いた言葉に、「準備8割・現場2割」という言葉がありますが、 この映画を見ていて、当を得ている言葉だなと思いました。


    小さな異常、違和感を見逃さずに、油断なく物事を進めていくことの大切さを 感じた作品です。



  • 院長この一冊23 2013.07.28
    「天音(あまおと)。」EXILE ATSUSHI


    現在の日本の音楽シーンを牽引するビッググループ「EXILE」。
    今回、ご紹介するのは、EXILEのヴォーカリスト ATSUSHI さんの著書 「天音(あまおと)。」 です。

    ATSUSHIさん のことは、もうだいぶ前のテレビ番組「ASAYAN」で行われた、 「男子ヴォーカリスト オーディション」 で知りました。
    この企画で誕生したのが「CHEMISTRY」で、ATSUSHIさんは、かなりいいところまで 残ったのですが、落選してしまいました。
    その数年後、EXILEのヴォーカリストとして、再び、テレビで拝見したときは、 とても嬉しく思ったことを覚えています。

    EXILEは、現在、第3章というステージにあるそうです。
    簡単に説明しますと、
    第1章 「ATSUSHI・清木場のツインボーカル時代」
    第2章 「ATSUSHI・TAKAHIROのツインボーカル時代」
    第3章 「メンバー増員14名体制の現在」
    となります。

    私が、好きなEXILEは、第1章なのですが、この著書「天音(あまおと)。」には、 第1章時のヴォーカリスト清木場俊介氏とのことも書かれていたため、 今回、購入するに至りました。
    清木場氏は、山口県宇部市のご出身だそうで、私が、以前、勤務していた 山口県山陽小野田市の隣町であることもあり、誠に勝手ながら親近感を覚えて しまうのです。
    EXILEの作品の中に、「HERO」という曲があります。
    私は、この曲が大好きで、よく聴くのですが、これも清木場氏の作詞によるものです。

    さて、本書の内容ですが、
    ・ATSUSHIさんがEXILEのヴォーカリストになるまでの紆余曲折
    ・EXILEメンバー、特に、リーダーであるHIROさんへの感謝の気持ち
    ・ATSUSHIさんの価値観・歌い手としての心構え
    といった構成でしょうか。

    特に、心に残った部分は2つあります。

    ① EXILEが軌道に乗って、世の中の人に知られ始めた頃、リーダーのHIROさんがメンバーに言った言葉。
    「俺たちが売れれば売れるほど、謙虚でいるだけで社会貢献になると思うんだ。
    そしたら世の中の若い人たちも、少しは謙虚になるかもしれない。
    それってひとつの社会貢献なんじゃないかな」

    若者に多大な影響を与えうる、ビッググループの長が、このような考え方を なさっていることは、本当に素晴らしいことだと思います。
    以前、EXILEが、「天皇陛下御即位20年をお祝いする国民祭典」で楽曲を披露されたとき、私は、天皇家とEXILEの組み合わせに、多少の違和感を感じたのですが、リーダーの考え方が素晴らしいからこそ、このような式典にも耐えうるグループなのだと関係者が判断し、出演するに至ったのだろうなと納得がいきました。

    ② ライブ中の言葉使いを敬語にしているということ。
    「みなさん、盛り上がっていきましょう!」
    「知ってる方はぜひ一緒に歌ってください」
    など、筋の入った坊主頭にサングラスといういでたちでありながら、
    お客さんに敬語で語りかけるという行為。
    その理由は、会場に足を運んで下さる方には、年長者もいらっしゃるだろうし、 高校生の娘を心配して付き添いできているEXILEをよく知らないお父さんも いらっしゃるかもしれないという配慮だそうです。
    コンサート会場に足を運んで下さる方に、一人でも自分の言動を不快に感じる人がいたら嫌だからだそうです。


    ありきたりな感想かもしれませんが、この著書を読んで、リーダーやヴォーカリストと いう、グループの核をなす人間の、徳の高さを感じました。
    EXILEというグループの今後ますますのご発展を願ってやみません。



  • 院長この一冊22 2013.07.25
    「風立ちぬ」堀辰雄

    7/20から、全国ロードショーで公開されている、宮崎駿監督作品「風立ちぬ」。
    今回、ご紹介するのは、堀辰雄氏の「風立ちぬ」です。 

    110ページ程なので、それほど時間もかからないだろう、映画が公開される 7/20には、この書評もアップできるだろう、と思って読み始めたものの、 風景描写に費やす一文一文が濃厚で、やや難解だったというのが正直な ところです。

    「私」とその婚約者「節子」が山岳地帯にあるサナトリウムで過ごす、ある一時期の 様子を主軸に物語は進みます。
    婚約者「節子」は、すでに重篤な結核に侵されており、二人は、近い将来に起こりうる 「死」を受け入れて毎日を過ごします。

    「風立ちぬ、いざ生きめやも。」

    作品の冒頭まもなく書かれているこの台詞。
    おそらく、この作品を一言で言い表すキーワードであるに違いないのですが、 私に解釈する知性は・・・どうやら無いようです。

    宮崎駿監督の、「風立ちぬ」では、「ひこうき雲」が主題歌です。
    歌うのは荒井由実、のちの松任谷由実さんです。
    小学校時代の友人の死を歌った作品だと、その著書「ルージュの伝言」に 書かれていました。
    はじめて聞いたのは、もう25年くらい前ですが、衝撃を受けました。 本当に、ユーミンは天才としか言いようがありません。

    過去には、ユーミンと宮崎アニメの組み合わせで、「魔女の宅急便」がありましたが、 上映当時、私はこの作品が大好きで、何度見たか分かりません。
    13歳の少女が、自立して、知らない土地で生きていくという姿が、私にとっては とてつもなく凄いことに思え、かたや、親の庇護のもと、ぬくぬくと生きている自分 (当時12歳)は男のくせに何とも恥ずかしい奴だとさえ思ったりもしました。
    あれから、20年以上が経ちました。

    本当に「自立」した人間を目指して、日々精進致します。

    「生きねば。」




  • 院長この一冊21 2013.07.20
    「NHK まんがで読む古典」

    今回ご紹介するのは、「NHK まんがで読む古典」です。
    だいぶ昔に、NHKで放送されていた番組を文庫化したもので、 以前、ご紹介させていただいた「古事記」同様、漫画でのアプローチです。

    第1巻 枕草子
    第2巻 更級日記・蜻蛉日記
    第3巻 源氏物語・伊勢物語
    の全3巻で構成されています。

    古典の作品の多くは、和歌でのやりとりがその大半を占めるのですが、 現代のように、メール・FAX・電話などの通信手段が進化し、せわしく生きていると、 古典の時間の流れが信じられないほどスローに感じます。

    しかし、そんなスローな中で生まれた作品の数々が千年以上経っても、 存在し、読まれ続けている事実。
    通信手段は変化しても、人間の本質は変わっていないということなのでしょうか。

    さて、本の内容ですが、各物語の概要をざっくり捉えるには最適です。
    古典は苦手なのですが、一応、日本人として、社会人として、代表作の概要は 押さえておかねばと思っていた私には、ちょうど良いスタンスの本でした。
    NHKの番組自体も、見たことはあるのですが、当時は小学生でしたから、内容は 全くもって記憶にあるはずもなく、覚えているのは、爆風スランプが歌う、 エンディングテーマ「それから」のサビの部分くらいでした。

    今年は、20年に1度行われる、伊勢神宮の「式年遷宮」という行事の年で、 書店に行くと、伊勢神宮関係の書籍を多く目にします。
    そんななか、伊勢物語とは、伊勢神宮と何か関係があるのかと疑問に思って 本書を読むと・・・なかなか過激な内容(第69段)も堂々と書かれた熱い?物語でした。

    今後も新旧織り交ぜて、幅広いジャンルの読書を心がけようと思います。



  • 院長この一冊⑳ 2013.06.24
    「宿澤広朗  運を支配した男」  加藤 仁

    先週、6月15日、東京・秩父宮ラグビー場にてラグビー日本代表が 欧州王者ウェールズに23-8で勝利するという歴史的金星を上げました。
    今回のウェールズ戦での勝利で、私の脳裏に思い起こされたは、今から24年前の 1989年、スコットランド戦に勝利した時の、ラグビー日本代表監督・宿澤広朗氏の ことです。

    「天才ラガーにして名監督。 巨大銀行 専務取締役。」
    本の帯に書かれた、宿澤氏を的確に紹介した一文です。

    今回、ご紹介するのは、「宿澤広朗 運を支配した男」  この本は、恩師から頂いた、私の宝物です。

    「努力は運を支配する」 という強い信念のもと、人知れぬ努力によって ラガーとして銀行員としてその生涯、輝き続けた宿澤氏。
    2006年6月17日、登山中に急逝されたとの報を、夜のNHKニュースで 見た時の衝撃は今でもよく覚えています。
    今回のウェールズ戦での勝利、私は、宿澤氏の7回忌に合わせてもたらされたものと 思えずにはいられません。

    この本の中で、特に印象に残っている部分は、2001年9月11日、ニューヨークで 起こった同時多発テロの際に、住友銀行市場統括部長として宿澤氏が出した 3つの指示についての記述です。

    3つの指示とは、
    ① ドルの資金繰りを徹底的に行う

    ② お客さんのためにできるかぎりのことをする

    ③ 勝機を逸しない

    この3つの指示の具体的内容については本書に委ねますが、
    誰もが混乱している、非常時にありながら、「優先順位と指示内容が明快」で 「機敏にして明晰な指示」 であったと、当時、現場にいた方々は証言しています。

    非常事態に遭った時、「まず、様子をみよう」と、「判断」も「決断」もできない ことが多いと思うのですが、やはり、この方は次元が違うように思いました。

    最後に、「努力は運を支配する」という言葉の原点となっている、 宿澤氏大学卒業時の叙述、「楕円形の青春」の一部を引用させて頂きます。

    「楕円形のラグビーボールは,よく人生の縮図であると言われる。
    つまりラグビーボールが不規則なバウンドをすることによって,ゲームの勝敗を 左右することが,予測のつかない人間の未来にたとえられているのである。
    およそラグビーにおいては(他のスポーツでも当てはまることではあるが)運だけで 勝敗が決するものではない。もちろん大きな要因であるにはちがいはない。
    しかし,相手に勝つためには,たゆみない努力と,それによって生まれた実力と, それらを生かす恵まれた運,この三つがうまく相関した時に一つの大きな力となって 相手に打ち勝つことができるのである。そしてそれがまた,自信とか,精神力とか, 勝負強さなどといったものを生む源ともなるのである。

    あの一瞬のために自分たちはどれほど春先から練習を積みかさねてきたことか。
    ボールをうまくバウンドさせるだけでなく,よいタイミングで走り,よいポジションに 位置する。それは一年間の練習があってこそ成しとげられた。
    結局,その努力が報いられて,勝利をつかむことができたのである。
    (中略)これはスポーツに限らず,人が生きてゆく上であらゆることに共通するのでは ないだろうか。人間には,平等に,いろいろな形でチャンスが与えられる。
    それがどのような結果を生むかは,その人の不断の努力と,そなわった力によって 大きく変わってしまうのであろう。
    これからの人生において,大きなバウンドが何回か歩む道を左右するであろう。 その時になって,どうころがるかは計りしれないものがあるけれども,少しでも 良い方向にころがるように日々の努力を怠らないようにせねばなるまい。」

    このような、次元の違う方が「努力は運を支配する」と言い切っている限り、 私のような凡庸な人間はそれこそ24時間・365日、仕事のことを考え続けなければ 全く浮かばれないなと思っております。



  • 院長この一冊⑲ 2013.06.13
    「三たびの海峡」 帚木蓬生

    今回、ご紹介するのは、帚木蓬生さんの「三たびの海峡」です。
    高校時代の国語の先生が勧めていたので読みました。

    戦時下、父親の身代わりに、朝鮮から北九州の炭鉱に強制連行された、 17歳の少年が主人公です。
    この作品を読むと、戦時中、日本という国が犯した大きな過ちを、 知ることになります。
    学生時代の歴史の授業では、知りえなかった、凄惨な事実が 心をえぐります。
    物語の前半は、炭鉱で行われた、目を覆いたくなるような強制労働の実態、 労働者への暴力、辱めがこれでもかというくらいに書かれています。
    この事実を、日本人作家が、包み隠さず書いていることにまず驚きを覚えました。
    物語の中盤では、炭鉱から命からがら脱走した主人公が掴んだ、束の間の幸せ、 日本人女性との愛、新しい生命の芽生えが書かれています。
    しかし、日本の敗戦による時勢の荒波は、その幸せを、主人公からさらっていきます。
    祖国で裸一貫から出直し、大きな成功を収めた主人公は、あの強制労働から 半世紀経って、二度と踏むまいと思っていた炭鉱の町に再度、足を踏み入れます。
    あの苛酷な労働・卑劣な暴力で命を失った同胞のために、どうしてもやらなくては ならない「使命」があったからです。

    非常に重たいテーマを書いた作品ですが、これを日本人作家が書いていると いうことが何よりの重要事項だと思います。
    太平洋戦争についての解釈で、日・韓に食い違いが起こり、国際紛争に 発展しそうな時、この作品が何よりの緩衝剤になるであろうことを 私は信じてやみません。
    ちなみにこの作品は映画化されています。
    先日、お亡くなりになった名優・三國連太郎さんはこの作品で 日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を受賞しています。
    緊張感がとぎれ、真面目に生きていない自分に気づいた時に 読み返すべき一冊だと思っています。





  • 院長この一冊⑱ 2013.06.03
    「大阪LOVER」 DREAMS COME TRUE

    今回は、曲のご紹介です。

    昨日、大阪で、高校の同期の結婚式がありました。
    「大阪」という地名を聞いたとき、私の頭に、まず思い浮かぶのがこの曲です。
    別に、ドリカムのファンでもないのですが、耳になじみやすいリズムと関西弁で 構成された歌詞が、いい感じなのです。

    結婚式は、リニューアルした大阪駅の駅ビルの最上階でありました。
    高校卒業以来、はじめて顔を合わす友人もいて、久々の再会のきっかけを 与えてくれた新郎には感謝の気持ちでいっぱいです。

    だいぶ古い話になります。 一足先に、大学へ進学した新郎は、浪人中だった私に、京都・北野天満宮の御守りを 送ってくれたことがありました。
    新郎の恩師があと余命わずかという時に、恩師に桜島の写真を見せたいから 送ってくれと言ってきたこともありました。

    医大の体育大会で3回も全国制覇を成し遂げた規格外の新郎ですが、細やかな 心遣いが素晴らしいのです。

    披露宴での最後のスピーチは、感動もので、私の周りの同期は涙を流していました。
    2週間後には、アメリカに心臓血管外科のさらなる高みを目指して、旅立つそうです。

    Dr.GENGO・・・ あなたの志の高さを見習って、僕も歯科治療に励みます。



  • 院長この一冊⑰ 2013.05.27
    「優駿」 宮本輝

    昨日、東京競馬場では、第80回日本ダービーが行われ、武豊騎手騎乗の 「キズナ」が優勝しました。
    時代背景を背負った名前「キズナ」。
    そのようなサラブレットが優勝したことに名前の大切さ・宿命を感じずには いられませんでした。

    今回ご紹介するのは、宮本輝さんの「優駿」です。
    競馬のGⅠレースの一つである日本ダービーは、その正式名称を「東京優駿」と いいます。今回ご紹介の「優駿」は、その名のとおり、日本ダービーを題材とした 作品です。
    主人公はオラシオンというサラブレット。
    オラシオンという名前には「祈り」という意味が込められており、多くの登場人物の 「祈り」を乗せて、オラシオンは日本ダービーに挑みます。
    私も、この小説を読んで、初めて知ったのですが、日本ダービーは、 数ある競馬レースの中でも、最も崇高なもので、勝のが難しく、多くの競馬関係者が 最も欲しいタイトルなのです。

    この小説は、長編で、登場人物の一人一人に焦点を当て、丁寧に書かれており、 読者をあっという間に引き込んでいきます。
    なかでも、オラシオンのオーナーである、会社社長が、なぜ馬を持つようになったのかという物語背景に緊迫感があり、読後も少々後を引きます。
    他にも、オラシオンを譲り受ける社長令嬢が、北海道の牧場の息子の 朴訥とした誠実さに魅かれていく過程であったりと、一つの作品に複数の 作品が入っているような感覚を覚えます。

    読後は、爽快感なのか寂しさなのか、言葉で表現できない感覚、そして、オラシオンという馬が「祈り」という意味を持つことが物語の核心をあまりに 捉え過ぎていて、数日に及ぶ妙な余韻を覚えました。

    名作だと思います。
    宮本輝さんの作品には、関西の富裕層がよく登場します。
    神戸の芦屋であったり、大阪の北新地、京都の祇園など、私には縁のない場所の 文化といいますか、日常が書かれており、少し気分が高揚してしまいます。
    関西に憧れている方がいらっしゃれば、宮本輝さんの作品をおすすめ致します。




  • 院長この一冊⑯ 2013.05.26
    「起業家」 藤田晋

    昨年の5月8日に開業しまして、早1年が経ちました。

    皆様、本当にありがとうございました。
    30代になってからは、時の流れが異常に早く感じるようになり、
    この開院1周年もいつの間にか迎えていたというのが正直なところです。
    今回、ご紹介するのはサイバーエージェント・藤田社長の最新著書「起業家」です。

    2000年:ネットバブルの崩壊
    2006年:ライブドア事件
    等々、何かと世間を騒がすIT業界。
    最近は、IT業界のみならず、他業種でも成果主義を前面に出す企業が多い中で、 藤田氏は以前から「かつての日本的経営を目指す」と言い切り、 「終身雇用」と「長く働く人を奨励する」といった、時代の流れに逆行するかのような メッセージを出し続けていました。
    私は、藤田氏のそのようなところに共感を覚えてきたように思います。

    さて、本書の内容へ。
    サイバーエージェントの原点は、インターネットの広告代理業なのですが、 近年、広告代理業だけでは限界があると藤田社長は感じるようになります。
    そして、独自のメディア事業を立ち上げ、主力事業を広告代理業から メディア事業へシフトすることを目指すのですが、そこに至るまでの苦悩の日々が 綴られています。

    もっと端的に言いますと、「アメーバブログ」というサービスを創り上げるまでの 紆余曲折が書かれています。

    なかなか芽の出ない「アメーバブログ」は、社内からも投資家からも批判の対象にされ続けていました。
    しかし、藤田社長のある決断で変化が生じます。
    その決断とは、今まで高層ビルの最上階にあった社長室を、アメーバブログ部門の 入っている階下のオフィスビル内へ引っ越しするという決断です。
    つまり、社長自ら現場に出て、現場の担当者と仕事をし、細かい部分まで見るように したということです。
    その後の、アメーバの躍進は、「芸能人ブログ」や「アメーバピグ」等で ご存知の通りです。

    私は歯科医師ですから、常に診療をし、現場に出ています。
    それでもまだまだ気づかないこと多々あり、スタッフの皆様の力を借りて、 改善を重ねている次第であります。

    「現場主義」・「率先垂範」・「あきらめない心」

    2年目に入りましたが、今後も行き詰ったら、この3つの言葉を自分に 言い聞かせていく所存であります。




  • 院長この一冊⑮ 2013.04.28
    「竜馬がゆく」 司馬遼太郎

    坂本龍馬。

    まぎれもなく日本の歴史上、No.1のヒーローでしょう。
    司馬遼太郎先生は、この本の最後に、坂本龍馬をこう評しています。

    「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。

    天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、
    その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。」

    暗殺により、33歳の若さで天へ召された、坂本龍馬先生。

    私は、20代前半で、この本を手にしてから、33歳までに自分は何ができるのかと 思い続けていましたが、恥ずかしながら、結局、特にたいしたことも成せずに 33歳を経てしまい、現在に至っております。

    「竜馬がゆく」は、全8巻におよぶ大長編です。
    心に残ったシーンは多々あるのですが、今回ご紹介するのは、
    薩摩の偉人・西郷隆盛と坂本龍馬が初めて出会う場面です。


          
    (画像:坂本龍馬)     (画像:西郷隆盛)

    江戸幕府の役人であった、勝海舟が、弟子である龍馬に西郷の存在を教え、 西郷には龍馬の存在を話し、お互い一度会ってみるといいよと提案します。

    二人の対面は、龍馬が京都の薩摩藩邸に西郷を訪ねることで実現します。

    西郷は、初対面から龍馬に度肝を抜かれます。
    客間で待つはずの龍馬が、そこにはおらず、庭先に降りて、鈴虫を獲って いたのです。

    そして、西郷を初めて見るや、自分の名を名乗るわけでもなく、 「虫かごはありませんか?」と言葉を発するのです。

    西郷は慌てて「虫かご、虫かご」と部下に用意させます。
    龍馬は、獲った鈴虫をひょいと虫かごに入れて、かごを軒先につるします。

    龍馬と西郷の歴史的な対面が、このように書かれていること自体に面白さが ありますが、何より印象的だったのは、その後にとった西郷の行動です。

    初対面から一か月後、龍馬は西郷を再度訪ねます。
    すると、虫かごに鈴虫がまだ飼われていたのです。
    鈴虫が一か月も生きるわけがありません。

    西郷は、龍馬がいつ訪ねてきてもいいように、かごの鈴虫が死ぬたびに、 部下に鈴虫を獲らせ、かごに入れていたのです。

    それを察した龍馬は「西郷という男は、信じてよい」と思ったそうです。

    茶道の言葉に、「心づくし」という言葉があるそうです。
    「人をもてなす心のはたらき」という意味のようで、西郷隆盛はそのような心を 持っていた方のようです。

    見習うべき心のありようだと思いました。



  • 院長この一冊⑭ 2013.04.14
    「わかる古事記」 西日本出版社

    日本最古の歴史書「古事記」。

    昨年、2012年は「古事記」完成(712年)から、1300年ということで 書店や雑誌の特集等で、「古事記」を目にすることが多かったような 気がします。

    今回、ご紹介するのは「わかる古事記」。
    マンガで書かれている部分も多く、非常にわかりやすい本です。

    日本人でありながら、「古事記」を読んだことがなかった私は、 昨年、完成から1300年という年月を経た「古事記」をぜひとも読んでみようと 思っていました。

    古典は苦手なので、なるべくわかりやすい本をと思っていたところ、 出会ったのがこの「わかる古事記」だったのです。

    古事記は、まず神様の世界からはじまり、だんだんと、日本の現実の話に 移っていくのですが、登場人物が多く、一人一人の名前が複雑なことが、 難解な書物になっている理由だと感じました。

    この本は、マンガを交えており、分かりやすい解説もあるので、スイスイ読めてしまいました。


    分かったこと・感じたことは、

    ①日本にはたくさんの神様がいらっしゃって、そのやりとりから、日本という国が
      作られていったということ。

    ②冒頭からしばらくは、神様の世界と現実の世界をまたいで物語が書かれている
      ので、難解になっていること。

    ③西日本の各地に物語の舞台が移っていきますが、それほど交通も発達
      していない時代にもかかわらず、よくそのような広範囲の地域の事情を
      把握できたなという驚き。

    といったところでしょうか。


    大学時代、宮崎県高千穂町出身の同期の友人に、「天安河原(あまのやすかわら)」を 案内してもらいました。
    「古事記」の中で、太陽神である、天照大神が天岩戸に籠ってしまい、世の中が 真っ暗になったという神話の舞台と言われ、八百万の神々がその対処について 会議を行った「天安河原(あまのやすかわら)」。

    友人は、「怖いから正直、足を踏み入れたくないんだけどせっかくだから」と 言って案内してくれましたが、本当に何か、神々しいといいますか、恐れ多い 場所でありました。

    感性の強い方であれば、何か見えるんだろうなと思わざるを得ないほどの パワーを発していました。鈍感な私がそう感じるくらいですから、相当なのだと 思います。

    日常のあらゆることに、畏怖の念を持って、謙虚に生きて参ります。


           天安河原(宮崎県高千穂町)

    ※スピリチュアルで有名な、江原啓之氏が、その著書の中で
     「並はずれて強いパワースポット」と紹介しつつ、
     「観光気分で訪れていい場所ではありません」と
     注意を喚起している天安河原。
     夕方は、陰惨な雰囲気に包まれるので午前の参拝が良いようです。
     私は、夕方、訪れましたが、身震いがしてきたのを覚えています。
     本当に軽々しく訪れてはならない場所だと思います。


  • 院長この一冊⑬ 2013.03.20
    「外科医 須磨久善」 海堂 尊

    今回ご紹介させていただくのは、心臓外科医・須磨先生を書いた 「外科医 須磨久善」です。

    須磨先生は、2001年にNHKのプロジェクトXという番組で、日本初のバチスタ手術を 執刀した心臓外科医として特集されていました。

    この本には、外科医を志すところから、世界でご活躍されるところまで、その道程が 詳しく書かれています。

    とくに、印象的な箇所は、その圧倒的に早い手術について、その理由が書かれた ところです。


    「須磨は何も足さない。代わりに何かを引いていく。手術は手数と時間は少なければ 少ないほどいい。」

    「よけいなことをしない、やり損じない。一発で決める。」

    歯科もどちらかといえば、外科領域ですので、非常に含蓄のある言葉として 私には感じられました。
    日常、行っている手技をもう一度見つめなおして、改善できることはないか、 省けることはないかと考えて毎日を送ることが大切だと思いました。


      プロジェクトX 挑戦者たち 「vol15.奇跡の心臓手術に挑む」


  • 院長この一冊⑫ 2013.03.12
    田中角栄 ~戦後日本の悲しき自画像~ 早野 透

    混沌とした時代が随分と長く続いております。

    政治に疎い私ですが、最近の歴代総理大臣の手腕というものにいささか 期待が持てなくなってきています。

    今回、ご紹介するのは、
    「田中角栄 ~戦後日本の悲しき自画像~ 」です。

    サブタイトルにある、「戦後日本」という言葉。

    私の医院には、まさにこの「戦後日本」を支えたのであろう世代の患者様も お見えになります。

    敗戦国から経済大国になるまでの、いわゆる高度経済成長期を支えて下さった 方々が、30代半ばの若輩の診療を受けて下さるなど、恐縮の限りです。

    今では、週休2日制が当たり前ですが、高度経済成長期を支えて下さった 方々の時代は、おそらく週休1日で日曜日のみ。実際は、休みの日曜も返上で 働いていたに違いないのではないでしょうか。

    日本が不景気を潜り抜けるには、日本男児が以前のようにハードワークに励むしか ないのではないかと私は考えてしまいます。


    田中角栄。まぎれもなく戦後日本を代表する政治家でしょう。

    この本を読むと、田中氏が総理大臣まで登り詰める道程とその間の日本の 世情がよく分かります。

    多くの先人たちの尽力により、今、私たちは日本で安全に生活することが できるんだとひしひしと感じました。

    先人たちへの感謝の思いを忘れずに、ハードワークに励みます。



  • 院長この一冊⑪ 2013.02.23
    「雨ニモマケズ」 宮沢賢治

    あまりにも有名な、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」。

    これは、宮沢賢治さんの死後、手帳に記されていたのが発見されて 世に出たものだそうです。

    私は、「雨ニモマケズ」という作品の具体的内容を知ったのは、 恥ずかしながら、長渕剛さん主演の映画「英二ふたたび」を観た時でした。

    「英二ふたたび」は、長渕剛さん主演の映画の中で、一番好きな作品です。
    作品中で、長渕さんがこの「雨ニモマケズ」を朗読するのですが、 心を揺さぶられます。
    特に、詩の最後の「そういう者に私はなりたい」というところが、妙に 私の心に響いてくるのです。

    「雨にも負けず、風にも負けず、

    雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、

    決して怒らず、いつも静かに笑っている。

    一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

    あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、

    そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、

    東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、

    西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、

    南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、

    北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、

    日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、

    みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、

    苦にもされず そういう者に私はなりたい」


    確固たる軸がある人間の、粛々とした毎日を送る心の在り様といいますか、 人生観といいますか、とにかく心が洗われる、そんな文章です。

    歯科医療人として、見習うべき姿勢だと思います。

    そういう者に私はなりたい。


      「英二ふたたび」


  • 院長この一冊⑩  2013.02.10
    「北九州の近代化遺産」  北九州地域史研究会

    本日、2013年2月10日、北九州市が市制50周年を迎えられたそうです。

    北九州市の皆様、おめでとうございます。

    今から50年前に、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の旧5市が、世界でも 類をみない対等合併をして誕生した北九州市。九州初の100万都市・政令指定都市として発展してきた当市には、 大変興味深い建築物が多数見られます。

    今回ご紹介させて頂く、「北九州の近代化遺産」には、多くの建造物・設備が 旧5市に分けて掲載されています。

    鉄道が好きな方が喜びそうな、門司港駅・折尾駅。
    若松の料亭金鍋。
    自然と人工の調和した壮大な河内貯水池。
    北九州工業地帯の代名詞でもある八幡製鉄所の歴史の火蓋を切った 東田第一高炉。

    鹿児島から北九州に来た当初は、鹿児島とは異なる趣の建造物の多さに 驚きました。

    映画映えする建造物も多いからでしょうが、北九州をロケ地にした映画も 近年多数上映されています。

    歯科医師として本格的に一般診療を学び始めたのは、この北九州市からでした。
    大して才能に恵まれていない私が今でも歯科医療を続けているのは、 北九州の多くの皆様に温かいサポートを頂きながら、一般歯科医の第一歩を 踏み出したからに他ありません。
    本当に感謝しております。

    北九州市の皆様、市制50周年、おめでとうございます。
    そしてありがとうございました。


    北九州市でロケを行った映画

         「プルコギ」        「サッドヴァケイション」     「おっぱいバレー」


  • 院長この一冊⑨ 2013.01.14
    「受け月」  伊集院静

    正月明けの2連休も、なにかと仕事を抱えて職場に籠っていました。

    頭がパンパンになり、一息入れようと、缶コーヒーを買いに外に出ると、 受け月が見えました。

    受け月とは、三日月の弓の部分が下の方にあって受けている状態の月です。

    伊集院静さんの直木賞受賞作「受け月」には、「受け月の時に願い事をすると 皿に水が溜まるように願いがかなう」と書かれていました。
    何とも日本的風情あふれる一節です。

    最近、メディアでよく目にする伊集院静さんですが、この方は、結構、物事を はっきりおっしゃいます。

    一昨年前からのベストセラー「大人の流儀」シリーズも第3弾まで出ていますが、 共感する部分も多く、勉強になります。
    山口県防府市のご出身だそうで、このシリーズでは少年時代の故郷の ことにも触れられています。
    私も、縁あって山口県に3年間住んでいましたので、妙に親近感を感じて しまいます。

    「社会には大人だけが座れる席がある」
    「鮨屋に子供を連れていくな」
    「若い修行の身がなぜ休む?」

    少々過激な見出しが続きますが、特に、礼儀を重んじていることが ひしひしと伝わってきます。

    昔、恩師の先生が、「日本人の平均年齢を考えてみなさい。患者さんの多くが 皆さんより年上なんですよ。年齢が一つでも上というのは大変なことなのです。 ですから、診療させて頂くことを本当にありがたく思って診療に臨みなさい」と おっしゃいました。

    あれから、7歳年をとりましたが、私は依然として、平均年齢より下であります。

    日々緊張感を持って、謙虚な姿勢で診療に臨んで参ります。



         「大人の流儀」        「続・大人の流儀」     「別れる力・大人の流儀3」


  • 院長この一冊⑧ 2013.01.01
    「無駄に生きるな熱く死ね」 直江文忠

    2013年元旦
    明けましておめでとうございます。

    2013年の最初を飾る「院長この一冊」は、「無駄に生きるな熱く死ね」です。
    かなりインパクトのあるタイトルですよね。
    あれは、2006年の10月、患者様のことで恩師の先生に相談しようと 昼休みに院長室を訪れた時、恩師は私にある映画のワンシーンを見せました。

    その映画はオリバーストーン監督の「エニイ・ギブン・サンデー」。
    アメリカンフットボールを題材にした映画です。
    大一番の試合を前に名優アル・パチーノ演じるヘッドコーチが選手に演説する シーンで発した言葉が「無駄に生きるな熱く死ね」です。

    なんと強烈な言葉なんだろうと思いました。

    そして、ある書店でこの言葉がタイトルになっている本を見つけました。
    それが今回ご紹介する本です。

    この本の著者は、私と同い年で直江さんという方です。
    台湾・ゼロ番地という貧困地区で生まれ育った著者が、初恋の女性の葬儀を きっかけに葬儀業界で起業し成功するのですが、その人生哲学を書いた本です。

    内容は、とにかく厳しい言葉ばかりでパンチがあります。

    なかでもグサッときたのが、貧困のどん底で直江さんのお母様が発した言葉です。
    「お金持ちも貧乏人も、みんな、同じご飯粒を食べている。与えられた時間も まったく同じ。おまえには膨大な時間が残されている。だから、できない理由を 探す方が難しい」

    できない理由を探す方が難しい・・・

    全くおっしゃる通りだなと思いました。

    逃げずに正面から当たりにいく人生を心がけて、今年も頑張って参りますので どうぞよろしくお願い致します。


    「2012年・暮れの早朝 若戸大橋と洞海湾」


  • 院長この一冊⑦ 2012.12.22
    「北の海」 井上靖

    今回ご紹介するのは、ノーベル文学賞間近と言われながら、1991年に お亡くなりになった井上靖さんの作品です。

    井上靖さんの作品は、とにかく文章が上品。気品があり読みやすい。

    中学時代に、祖母に勧められ井上靖作品を読むようになりましたが、 この「北の海」が一番好きな作品です。

    井上靖さんの自伝的な小説は、「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」の3部作ですが、 この「北の海」は、高校受験に失敗した浪人時代の主人公・洪作を描いた作品です。

    「練習量がすべてを決定する柔道」という旧制第四高等学校の柔道部に憧れ、 四高受験を思い立った浪人生の主人公洪作は、夏に、金沢へ出かけます。

    そこで出会う四高生たちとの2週間の共同生活を軸に物語は進んでいきます。

    「練習量がすべてを決定する柔道」
    言い換えれば、努力は裏切らないというところでしょうか。

    北九州時代にお世話になった恩師の先生は、日本一ハードワーカーな歯科医師でした。
    私も先生の薫陶を受けた以上は、生涯ハードワーカーであり続けなくてはならないと 思って、日々診療に取り組んでおります。



  • 院長この一冊⑥   2012.12.02
    「知と熱 -日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐」 藤島大

    12月の第1日曜日に行われるビッグマッチといえば大学ラグビーの早明戦。
    今日は、その早明戦が行われました。
    なんと100回目の対戦だということです。

    今回、ご紹介するのは、早稲田の故大西鐵之祐監督を書いた「知と熱」です。
    おすすめは、この本の第11章「鉄になる」。
    この章では、1981年の早明戦に、大西監督が大抜擢した渡邉選手のことが 書かれています。
    大西監督が試合前、新聞記者に発した一言が、「あの瞬間、人生が変わった」と 渡邉選手に言わしめます。

    「渡邉という人間はタックルせいと言ったらいつまでも続ける情熱が素晴らしい」
    「あいつ(渡邉)は死ねと言ったらほんとうに死による」

    この章のタイトル「鉄になる」はそんな渡邉選手が、決戦前夜、寄せ書きに書いた 言葉だそうです。

    指導者の一言が、一人の若者の人生を大きく変えることは、あり得ることですし、 私もそのような体験をさせて頂いたので、この「鉄になる」には非常に共感を覚えて しまうのです。

    本日の早明戦は、伝統の一戦らしい、ロスタイムでの劇的な幕切れでした。 そして、筑波大・帝京大・明治大の史上初3校同時優勝になりました。 筑波大は国立大初の優勝だそうです。

    3校同時優勝といえば、1996年のアメフト関西リーグ、京都大・立命館大・関学大の 3校同率プレーオフを思い出します。

    まだ、テレビでしか観たことのない12月の早明戦。
    いつかは、国立競技場で観てみたいと思っています。



  • 院長この一冊⑤   2012.11.30
    「昨晩お会いしましょう」 松任谷由実

    今回は、CDアルバムです。 今年、デビュー40周年を迎えられた、松任谷由実さんの「昨晩お会いしましょう」。
    タイトルが不思議ですよね。やっぱりユーミンは天才だと思ってしまいます。

    私が初めて買ったCDで、非常に思い入れがあります。
    なぜ、このアルバムを買ったのかといいますと、名曲「守ってあげたい」が収録されて いたからです。

    はじめてこの曲を聴いたのは、小学1年生の夏休み、東京のいとこ達と菅平高原に 行く車の中でした。(のちに、この時行った、菅平高原が、ラグビーの夏合宿の メッカだと知りました。)

    歌詞の内容などは全く分かっておりませんでしたが、メロディが心地よく、従姉に 何度もカセットテープのリピートをお願いしたのをよく覚えています。v 今でこそ、インターネットですぐに音楽を聴くことができますが、当時は、CDを買うか、 レンタルしてカセットテープにダビングするかしかなかったように思います。

    子供でしたから、お金もわずか。CDを買うのは、一大決心でした。
    だからこそ、今でも記憶にしっかり刻まれているのだと思います。


  • 院長この一冊③ 2012.11.25
    日本夜景遺産  夜景評論家・丸々もとお監修

    全国各地の夜景の写真をまとめた一冊です。

    私の大好きな北九州市にある皿倉山の夜景が載っていたので、つい購入したのですが、現実逃避に有効です。

    皿倉山からの夜景がなぜ素晴らしいのかというと、洞海湾の水景がネオンを際立たせているからじゃないかと思います。

    皿倉山も素晴らしいですが、北九州市若松区にある高塔山からの夜景も凄いです。(残念ながら、高塔山はこの本には収録されていません。)

    最近、工業夜景というものが、一部の方々に人気だとのことですが、まさしく皿倉山・高塔山からの夜景は、工業夜景の代表といえると思います。

    北九州時代は、中澤先生という仲のいい先生と、しょっちゅう高塔山に気分転換に行っておりました。
    時折、高炉から火柱が昇るのですが、とにかく男性的な夜景で、気分が高揚します。
    小学校のときに習った、四大工業地帯の一つ「北九州工業地帯」のかつての凄さを夜景を通じて感じました。

    以前住んでいた山口県下関市の火の山公園(関門海峡を見下ろす公園)の夜景も収録されており、ついつい懐かしんでしまう一冊です。


  • 院長この一冊③ 2012.11.16
    「生き方」 稲盛和夫

    日本を代表する経営者、稲盛和夫氏の一冊です。

    私がこの本に出会ったのは、2006年の春でした。

    当時は、IT企業の若い経営者の方々がヒルズ族と言われたり、 オンラインの株の売買で、若くして富をなした方がもてはやされたりと、 とにかく儲けることが善というような風潮だったように思います。

    ヒルズ族や一財産築いた方々の華やかな生活を取材したテレビ番組も多く、 そのような番組を横目に、「自分が選んだ歯科医療は、はたしてどうなのか。 一生を賭けるにふさわしい仕事なのか。」と自問自答することも少なからず ありました。

    今から考えると、あまりに情けない自分でありましたが、この「生き方」という本に 書かれた稲盛氏の考え方は、当時の私を救ってくださったように思います。

    心に残ったフレーズはいくつもあるのですが、今回はその一つをご紹介させて 頂きます。


    「私は、たとえば宮大工の棟梁のように、一つの職業、一つの分野に自分の 一生を定め、その中で長く地道な労働を営々と重ね、おのれの技量と人間を 磨いてきた人物に強く魅了されます。その卓越した技量はもちろんのこと、 仕事を通じて体得してきた揺るぎない哲学、厚みのある人格、すぐれた洞察などが、 私の心の深いところに呼応してくるのです。

    「木には命が宿っている」 「「木が語りかけてくる」

    そんな深遠な響きの言葉を寡黙なうちにもポツリと口にされる。 そういう宮大工の棟梁の風貌が、私にはどんな偉い哲学者や宗教家よりも 崇高に見えます。」

    この文章が、この本の中でも非常に印象的でした。


    「根管が語りかけてくる」「根管が拡大を嫌がっている」 先の宮大工の棟梁の話ではありませんが、私は、根管治療をするとき、 そんな根管の声をとらえようと、現在も日々精進の毎日です。


  • 院長この一冊② 2012.11.06
    「あなたに褒められたくて」 高倉健

    日本を代表する俳優・高倉健さんの作品です。

    23編にわたるエッセイ集で、どこからでも読みはじめることができます。

    その中の、「十二支のコンパス」というエッセイでは、映画製作に携わる 多くのスタッフの仕事について書かれています。 カメラに映るはずもない小さな小物にまでこだわる小道具スタッフの心意気、そして それを逃さずカメラに収めるカメラマン・・・ プロの仕事なんですね。

    映画「海峡」は、健さん主演の映画の中でも、特に好きな作品です。 青函トンネルが開通した瞬間の健さんのガッツポーズ・・・ 初めて見た時は、このシーンで本当に鳥肌が立ちました。 「十二支のコンパス」では、このガッツポーズについての詳細が書かれています。 やはり、ただのシーンではなかったんだ、私の鳥肌は立つべくして立ったのだと 妙に納得してしまいました。

    他に「ウサギの御守り」というエッセイがありますが、これも秀逸ものです。 男の中の男としか言いようのない健さんが、こんな心境になるんだと 少し親近感を感じさせる作品です。

    高倉健さん・中竹監督は、福岡県立東筑高等学校のご出身です。 私は、母校で麻酔研修を終えたあと、北九州市で一般歯科医としての第一歩を 踏み出しました。折尾という町に住んだのですが、近くに東筑高校を見つけた時には このお二人の母校の近くに住めるというだけで感激してしまいました。

    今後も何かの折に、読み続けるであろう一冊です。

  • 院長この一冊① 2012.11.03
    「オールアウト 1996年度 早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組」

     2006年~2009年までの4シーズンにわたり、早稲田大学ラグビー部の監督を務められた、中竹竜二元監督の主将時代の1年間を追った一冊です。
    中竹元監督は、早稲田大学ラグビー部時代、4年生になるまで、一度も公式戦に出場経験がなかったにもかかわらず、同期からの厚い信頼を寄せられる存在であったため、主将に任命されました。

    そんな中竹氏が主将としての1年間を過ごすにあたり、スローガンとして掲げたのが「感謝・謙虚・モラル」の3つの言葉です。中竹氏が主将の年、私は浪人生でした。
    センター試験を一か月後に控えた12月にテレビ観戦した早明戦は今でも鮮明に覚えています。それから10年近く経過した、2006年の冬にインターネットのヤフーニュースで中竹氏の監督就任を知った時、かなり感激しました。

     2007年度大学選手権決勝では、中竹監督のチームが日本一になる瞬間を見たくて、私は高校時代の同期の友人と国立競技場まで観に行きました。

    監督をお辞めになった後、中竹氏はフォロワーシップ等の組織論について多数執筆されていらっしゃいますが、非常に勉強になります。

     私は、5月8日にこだわって開院しましたが、この日は、私がかつて分院長を務めさせていただいた、小野田スマイル歯科小児歯科医院の開院日であると同時に中竹氏の誕生日でもあるのです。
    一度もお会いしたことのない方ではありますが、インタビュー・書籍等でうかがい知れるお人柄を勝手に慕っているのです。

     モチベーションが下がりそうな時や自分を奮い立たせたい時、手に取ってしまう1冊です。